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探訪と記録について


【 探訪の導き手 】


 新潟県新発田〈シバタ〉市の『新発田市史・上巻』(昭55・1980)『第一編第二章第三節二』に「古四王神社」についての論究が掲載されています。
 執筆者の桑原正史は、この論究を「結局、古四王社の起源や本来的な性格は、現在、不明である。〈略〉。ただ、『北方開拓神』説や『越の王』説など、これまでの定説的解釈には積極的な根拠がなく、再検討を要することは確かである。」と締めくくっています.
 この論文を読んだことをきっかけとして、古四王神社という謎めいた神社の存在に興味を持つことになり、先ず桑原の他の著作を読んでみました。
 桑原は、「古四王神社の分布」=『新発田郷土誌・第9号』(昭和51年・1976)で、先行諸研究に於いて古四王神社の分布を示す試みは幾度となくなされているが、必ずしも網羅的なものが提示されている訳ではないので、諸書にあげる例を管見の限り拾い、それに一二を加えてみることにした旨を記し、所在地一覧表を作成しています。これを、桑原リストと呼ぶことにします.
 また、「古四王神社研究文献目録(稿)」を論文「威名真人大村の父について・他一篇」=『地方史新潟・第13号』(昭和53年・1978)において示し、古四王神社関連文献を提示しています。 これを、桑原文献リストとします。
 この桑原リストによって古四王神社を訪ね、桑原文献リストにあげられた資料を読みすすめてきました。
 桑原正史の著作を通して「古四王」神社に関心を持つ持つようになったこともあり、桑原正史の著作を導き手として「古四王」神社に接してきています。
 桑原リストの所在地情報がどの研究者のどの論文から採録されているか分かってくるにつれて、古四王の所在地として取上げてあっても実際に存在するのかどうか疑問に思うことも出てきました。
 所在地住所が古かったり大雑把な場所表示であったりで現在の位置を特定しにくい場合の他に、古四王山等の地名や小塩等の地名や御所神社や小所堂等の社名を古四王に関連づけて提示してある場合がありますし、研究者の方が実際に調査をされて報告をされている古四王神社もありますので、所在地情報は玉石混交状態です。
 古四王神社の所在地といわれる情報をきちんと検証していくことが必要なのではないかと思います。
 所在地情報を鵜呑みにはできないし、実際にどうなっているのかは行ってみなければ分からないし、なによりも謎の多い神社を見てみたいので、行ってみることにしました。
 所在地情報から場所を調べて探して実際に訪ねるのは、面白く楽しいことですが、訪ねるための事前準備をしても時間が自由になるわけではないので探訪数はなかなか増えません。
 また、訪ねるという当初の目的を達すると、現在地情報や社殿の状況や資料について等の記録をまとめることもなく、次の探訪に向かっていました。
 ようやく探訪の記録を残しておこうとやりはじめたところです。


【 探訪・記録と資料類 】


 いわゆる「古四王神社」は、東北と新潟県の諸方に所在する神社ですが、新潟県新発田市五十公野〈シバタシイジミノ〉にある古四王神社〈現在の表記・志王神社〉は、秋田県秋田市寺内児桜の古四王神社及び福島県喜多方市慶徳町松前家の古四王神社とともに日本三社の一社と言われています。
 それがあって、『新発田市史』に「古四王神社」の項目があるのではないかと思います。
 古四王神社は、その名称・祭神・社殿の向き・分布範囲などのこの神社の特徴とされるものが東北の古代史との関連とか様々な解釈をよび、解明しようとするのは一筋縄ではいかないようです。
 古四王神社の所在地情報も幾人もの研究者によって提示されていますが、研究者の観点・手法によって情報の質はまちまちですし、古い住所情報もありますので、実際に行ってみないと神社があるのかないのか分からないというのが本当のところかと思います。
 市井人たる私としては、古四王神社とはいかなるものかを論ずるよりも、野次馬のようですが古四王神社を実際に訪ねてみたいと思い、いくつかの古四王神社を探して訪ねてきましたが、記録を整理していませんでした。
 そこで探訪の記録を記事をとして作成することにしました。
 記録を作成にあたって、文献から引用や参照をする場合はその文献・著者を明らかにし、その都度文献について記述するようにいたします。
 また、記事「引用・参照資料一覧」に文献情報をまとめるようにいたしました。
 記事「引用・参照資料一覧」には、主要な参考文献も記載いたしております。
 引用文献については、単に著者・資料名称を記すだけではなく、引用文の記載されている章節を示すようにいたしました。また出版情報も記すようにいたしました。 文献著者の敬称を原則的に省略いたしております。
 神社情報の基礎資料としては、『平成の祭』を参照させていただいております。
 『平成の祭』については、《所在地リストについて》の記事をご覧下さい。
 探訪と記録にあたっての地図資料は、『カシミール3D』の解説本の地図、カシミール3Dを使っての国土地理院地図の閲覧、スーパー地形を使わせてもらいました。 他にパソコン地図の「いつもNAVI PC」「MapFan.」も閲覧利用しています。
 Googleマップ及びストリートビューも使わせてもらっています。
 Web情報によっても多くの教示を得ておりますので、参照webサイトについては記事中に示すようにいたしました。

 なお、探訪の記録の記事であり、「古四王神社」について説明しようというような記述を目指しているわけではありません。

【 古四王の表記について 】


 「コシオウ」の文字表記がいくつも存在することは、様々な論文中に表記例をあげて述べられてきています。
 私は、この神を一般的に表わす場合には基本的に「古四王」の文字をもってしたいと思います。
 個々の神社名については固有の表示にしたがい、古四王に統一することはおこないません。

 古四王を使う理由は、古四王とする社の数が多いということです。
 これは重視してよいのではないかと思います。
 「高志・古志・越」などを使うことは「コシ」を「コシノクニ」ととらえることに結びつくと思われますので、これらの表記を一般的に用いるのは避けておきたいと思います。
 「腰王」というのも、会津藩で用いられていた表記でもあり、これも避けます。
 「胡」を使う例等もありますが、今のところ用例が少ないので、一般的な名称としては避けたいと思います。

 佐藤偵宏は「コシオウ信仰研究序説」(昭61・1986)で、コシオウ分布圏を「古四王」の用字をもつ地域と「古四王」の用字以外の使用が多い地域に二分することが可能として、「前者は新潟県の荒川流域から以北の山形県庄内地方、さらに秋田県全域にあたる」「後者は新潟県から福島県にかけての阿賀野川全流域、山形県の米沢盆地と山形盆地である」と指摘しています。
 これを「古四王の用字が圧倒的に多い北部をコシオウ北分布圏、古四王以外の種々の用字がみられる南部をコシオウ南分布圏と仮称したい。」と分布圏を分析しています。
 さて、佐藤禎宏によるコシオウ神社の所在地リスト〈以下、佐藤リストと表示〉で新潟県の「古四王」表示以外の社は、新発田市五十公野・東蒲原郡津川町・中蒲原郡村松町別所・同町下戸倉・同町上戸倉で高志王ないし古志王表示となっています。
 福島県は喜多方市の腰王神社をあげています。
 山形県の内陸部の社については、当方で確認できていない社もありますので、ここではとりあげません。
 五十公野と津川は高志王神社となっていますが、この表示は明治以降に用いられたもので、それ以前は古四王であったのではないかと思います。
 村松町の三社はともに古志王です。下戸倉については江戸期の調査で越王大権現の記載があり、上戸倉の江戸期の調査で小子王の記載があり、別所の明治の地誌で越志王の表記がありますが、古四王表記は見ていません。
 村松町の社には、古志国の王を祀るという意識があったのかもしれません。
 あるいは、明治の神社明細帳の作成経緯の中で、古志王になったのかもしれないという疑いをすてきれませんが、資料がありません。
 喜多方の腰王神社ですが、会津藩の新編會津風土記ではコシオウは「腰王」と表記していますが、同書の喜多方の腰王神社にあたる記載〈耶麻郡慶徳組宮在家村の神社〉中に「別当は四天王の木像を安置せる故、古四王といえり」とあり、当事者の別当の言として「古四王」が出てきておりますので、江戸時代にもこの社も腰王ではなく古四王としていたものと思われます。
 現在は、古四王神社としており、参道の階段の脇に古びた古四王大権現の石碑があります。大権現表示がありますので、江戸期のものではないでしょうか。
 詳しくは各神社の記事をご覧下さい。 
 これら五十公野・津川・喜多方の例は、一般的な表示として「古四王」を用いることの補強にならないでしょうか。


【 表記符号について 】


 記事作成にあたって、文中に文献の表示や文献からの引用文並びに参考サイト等の情報表示や当方による補足等がなされますので、凡例的に表記符号の用い方を記しておきたいと思います。

 文献の表記
 例文:桑原正史は〔「古四王神社」=『新発田市史・上巻=第一篇第二章第三節の二』(新発田市史編纂委員会/新発田市 昭55・1980)〕
 著者・論文名・〈掲載書の〉書籍名及び巻名・引用部分の章節の表示・出版情報までを記したいと思います。
 記述方法としては、文献情報が多項目にわたる場合は、例文のように全体を〔亀甲括弧〕で区切り体と思います。
 対象論文が書籍に掲載されている場合は、「論文名」と『書籍名』を=で結んで表示したいと思います。
 書籍に巻数等がある場合は、書籍名に続いて表示するようにします。
 引用文の出典をより明確にするため、引用文の記載されている章節を示すようにし、論文名又は書籍名・巻名と=で結んで示すようにします。
 書籍名関連として、書籍名・巻名=章節までを『二重カギ括弧』に含めます。
 (小括弧)には、編著者出版者・版刷・出版年月などの出版に関する情報を記載します。
 和暦は、明治以降は明・大・昭・平とし、年月を省略して、昭27-6・1952-6のようにします。
 〔著者「論文名」=『書籍名・巻番号等=引用部分の表示』(出版情報 出版年和暦・西暦)〕
 実際の記事中には、『書籍名』=「論文名」著者名(出版情報)のような記述順になることもあります。
 また、煩雑となるのを避けて、桑原正史〔「古四王神社」=『新発田市史・上巻』(昭55・1980)〕のようにし、引用・参照文献一覧の頁において詳しい情報を記載していきたいと思います。
 しかしながら、実際の記述ではこの例文のように〔亀甲括弧〕でまとめて順に記すことができるとは限らないと思います。

 引用文の表記
 引用文を用いた記述をする場合は、引用文は「カギ括弧」で示し、カギ括弧中の『二重カギ括弧』は引用本文中で「カギ括弧」括りをされていた文言になります。{中括弧}なども使用します。{「引用文『引用本文中の「引用・強調」』」}
 引用文中の旧漢字・旧仮名は基本的にはそのままにしておりますが、表示が難しい場合は新漢字に改めました。 その場合は〈旧字〉などの補足表示をする場合もあります。
 文中において、当方で註・補足やフリガナなどを入れる場合は〈山括弧〉を用いて表示します。
 省略部分がある場合は、〈略〉又は・・・で表示します。
 例:〔「古四王神社の分布を示す試みは、既に先行諸研究に於いて幾度となくなされている」〈が〉、「必ずしも網羅的なものが提示されている訳ではない」〈ので〉、「諸書にあげる例を管見の限り拾い、それに一二を加えてみることにした」〕旨を記し、所在地一覧表を作成しています。
 この例のように、引用文を幾つか連ねる際には、引用文による記述の全体を〔亀甲括弧〕で区切る場合があります。


 表示不能文字について
 表示できない文字には、代りに□を置き、〈 〉内に文字の構造を示します。
 『平成の祭』のデータ中に、表示不能を示す□が用いられておりますので、その場合は区別するため■に変えて表わします。

実際の記事上では、これらの表記方法が行なわれていない場合があると思いますが、ご容赦下さい。

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