探訪記録にあたって〔目次〕              ページ先頭へ 前へ 次へ ページ末尾へ

所在地リストについて


【 桑原リスト 】


 私の古四王神社探訪の導き手である桑原正史は〔「古四王神社の分布」=雑誌『新発田郷土誌・第9号』(新発田郷土研究会 昭51・1976)〕に、〔「古四王神社の分布を示す試みは、既に先行諸研究に於いて幾度となくなされている」〈が〉、「必ずしも網羅的なものが提示されている訳ではない」〈ので〉、「諸書にあげる例を管見の限り拾い、それに一二を加えてみることにした」〕旨を記し、所在地一覧表を作成しています。 
 その一覧表による所在地情報の数は、新潟県10ヶ所、山形県58ヶ所+参考として3ヶ所、秋田県17ヶ所、岩手県4ヶ所、宮城県1ヶ所、福島県3ヶ所、東北以外2ヶ所となっています。
 この一覧表の所在地情報を桑原リスト》と表わします。
 当方がこのリストを入手したのは平成17年〈2005〉のことです。

 桑原は分布を県別一覧としてまとめた後、分布状況の概要及び古四王に関するいくつかの説とその疑問点を述べ、〔「結局、コシオオの語義や歴史的意義については、各地の伝承や俗信、文献資料を丹念に収集整理することによって、帰納法的に考えていくのが最も堅実な道であるかも知れない。そのことを肝に銘じておきたいと思うのである。」〕と記しています。
 桑原の示した所在地リスト・文献リスト及び論点や方法論を導き手として探訪を始めました。
 また、「古四王神社研究文献目録(稿)」を論文〔「威名真人大村の父について・他一篇」=雑誌『地方史新潟・第13号』(新潟県地方史研究会 昭53・1978-7)〕に示しています。
 これを、《桑原文献リスト》と表わします。

 これらの仕事を通して桑原は〔「古四王神社」=『新発田市史・上巻』(昭55・1980)〕で新発田市五十公野〈シバタシイジミノ〉の古四王神社という具体例から論究し、古四王研究に関する諸問題と桑原の問題意識をあきらかにしています。
 ここで論文の内容を簡潔に適切に述べることできかねますが,桑原の提示した事柄にこたえることが古四王研究の進展につながるように思います。

 また、谷川健一は〔「異族の神・ヤマトの神」=『白鳥伝説=第二部第二章』(昭61・1986)〕でその書出しに続いて「桑原正史氏は『新発田市史』の中で、古四王社の分布は、新潟県の阿賀野川流域をほぼ南限として、とくに東北地方の日本海側に集中していると述べている。」と桑原正史のこれらの仕事の一端について取り上げています。
 この第二章では古四王神についても様々な諸相から論究されていて、大変興味深いものがあります。

 さて、桑原リストの所在地は、大山宏等の先行諸研究から採録された古い住所なので、市町村の変遷をたどるなどをしなければ現在の住所が導き出せません。
 桑原リストの中には、採録の方針「コシオオとの関係を否定されなければならぬものもあるかも知れないが、特に否定説のないものは全てあげることとした」によって、所在地情報のみで神社の情報を伴わないものや小姓町・小塩沢のような地名も含まれていますし御所神社等も採録されていますので、古四王神社の所在地と古四王神社が所在するかもしれない場所の混在するリストです。
 古四王神社の所在地及び所在地可能性の情報を、研究者がどのような検証をして載せたか疑問に思えるような著作もありますので、リストの場所に古四王神社の存在があるのかを検証しなければ、分布リストの評価ができないと思います。
 探し訪ねて実際に確認していきたい、それは私にもできるのではないかと思い、古四王神社探訪を始めました。
 「神社」を探し訪ねるときに、時代の移り変わり、とりわけ「明治」という時代を通り抜けてきたことを前提に置かなければ、と思います。


【 『平成の祭』について 】


 『平成の祭』と表示して記載している神社名・ふりがな・鎮座地・祭神・由緒は、平成7年に出された『全国神社祭祀祭礼総合調査(MS-DOS版・CD-ROM)』に基づく、『平成「祭」データ(Windows版)』によるものです。制作・著作は神社本庁です。(平19・2007入手)

 このデータベースを用いて、「こしおう」で検索すると19の神社が検出されます。
 内訳は山形県6,秋田県7,新潟県3,福島県3です。
 「こしお」で検索すると、岩手の1社が増えて20社になります。岩手の胡四王神社は〈こしおお〉とふりがながついています。
 「古四王」で検索すると15の神社が検索されます。
 山形は巨四王神社が外れて5社、新潟は高志王神社2社が外れ1社、福島は高志王神社と胡四王神社が外れ〈こしのう〉と読む古四王神社が入って2社になります。
 これらをあわせると21社になります。
 合祀されている古四王神社や法人社以外の古四王神社は検索の対象外でしょうから、多くの場合はそういった古四王神社を探していくことになります。


【 月光リスト 】


 月光善弘〔「古志(四)王神の信仰ー出羽国における古代神としてのー」=『山形女子短期大学紀要第12集 昭和55年3月』及び『寒河江市史・上巻』〕所載の「東北地方(新潟県を含む)における古志(四)王社の分布表」の所在地情報を《月光リスト》として表示します。

 月光論文では、喜田貞吉・川崎浩良・丸山茂・及川大渓・近藤侃一・他の所論を取上げて研究史的に概観しています。
 また、古志(四)王神の進入経路を『小国町史』の「古四王神社」の項に記載の経路記述を示した上で考察しています。
 「進入経路」を示すことは、試論ではありましょうが、もう少し慎重であってもよいのではないかと思います。  
 著者が「古志(四)王神」と表記する意図についての説明はありません。

 「古志(四)王社の分布表」では、所在地・社名・調査者を記載しているので、各所在地をどの調査者が取上げているかが分かるようになっているので、所在地情報の発信者が誰かが一目で分かります。
 この所在地情報の一覧表は、分布表末尾にある調査者の項の記述によると、池田宗機「越王(古四王)信仰について」・川崎浩良「古志族の検討」・及川大渓「みちのくの庶民信仰」・近藤侃一「ゆたかな越文化圏」・喜田貞吉「越の国及び越人の研究」・丸山茂「越国と越王神社」・「白鷹町史」から抽出したもので、そこに月光による山形県の2ヶ所と国学院大学民俗学研究会による新潟県の1ヶ所を加えたものになります。
 県別の所在地数は、山形県(47)として48ヶ所、秋田県(19)、福島県(12)、宮城県(1)、岩手県(6)、新潟県(3)です。
 福島県の分布数が増えているのは、及川大渓の著作を取上げたことによります。
 調査者のあげた所在地情報をそのまま載せたためでしょうが、重複や誤りも見受けられます。
 調査者の欄が空欄になっているものが4ヶ所あります。

 このリストは平成25年〈2013〉に鶴岡市立図書館にて複写で入手しました。


【 佐藤リストと佐藤論文について 】

 

 佐藤禎宏の「コシオウ信仰研究序説」(酒田中央高等学校研究集録第6号別刷 昭和61年3月)に載せられている所在地リストを《佐藤リスト》と表示します。
 その所在地情報数は、山形県域のコシオウ神社所在地41ヶ所、山形県域のコシオウ地名所在地27ヶ所で、山形県以外では、秋田県17ヶ所、岩手県3ヶ所、宮城県1ヶ所、福島県2ヶ所、新潟県10ヶ所、富山県1ヶ所、島根県1ヶ所になります。
 また、同論文中のコシオウ神社・コシオウ地名関連文献の年表形式の一覧表を《佐藤文献リスト》と表示します。
 文献の出版年が年表に位置付けられていますので、古四王研究の流れが見て取れます。

 「コシオウ信仰研究序説」は、研究史をまとめ、研究の課題・問題点を整理して提示し、コシオウ神社・コシオウ地名の分布を論じ、関連文献も年代順に出展を示して網羅的に記載されており、すぐれた著作と思います。

 コシオウの分布に関して、論文の五節に要約の4として「コシオウ分布圏は古四王の用字をもつ北部、古四王以外の用字の多い南部に分けられる。後者のコシオウ南部分布圏は新潟県と福島県西部をまたぐ阿賀野川流域、山形県内陸部にあたる。前者のコシオウ北部分布圏は南部分布圏以外の北部である。コシオウ地名の遺存は南分布圏に多い。」と分布圏を区分する着眼を示しています。
 及川大渓の著作等にも注目していますが、福島・岩手に神社が存在するかどうか十分検討できなかった旨が記されており、所在地情報には取りあげられておりません。
 古四王の表記の状況に着目したのは、古四王の進入経路を取り沙汰するより有効かと思いますが、この分布圏区分も検証を経なければ評価しえないと思います。
 東北の太平洋側の福島等の県域でのコシオウ分布の調査が弱点になっていると思いますので、この面が強化されてくれば南北の分布圏についての考証も見直し深化されるのではないかと思います。
 「数多い各地の神社を」「実地で見聞する」「機会がもてなかった」旨を記しています。
 私は、それをしたいと思うのです。
 佐藤は「今後、著者自身が研究を継続していくべき方向を見定め、その出発点を明確にしておきたいというのが心積り」として〈論文名を〉序説としたと、この論文の位置付けをおこなっていますが、この著作は古四王研究における現在の到達点を示しているのではないかと思います。

 昭和以降の古四王神社についての研究は、大山宏の秋田魁新報紙上に連載した「古四王神社祭神考」(大14-12・1925)を契機として、喜田禎吉が「越の国及び越人の研究(上・中・下)」=雑誌『東北文化研究・第1巻第4号・5号・6号(昭3-12〜昭4-3・1928〜29)で大山論文を取上げたこと、藤原相之助の「美人国祖神記」(仙北新報のち『東亜古俗考』(昭18・1943)や「古四王神考」(昭6・1931)等での論究があって、古四王についての関心が拡大してきたのではないかと思います。
 その後は山形県の研究者の取組みが目立っています。
 新潟県については、小林存が「古志王神社から嫁いぶしへ」=雑誌『志路・第1巻第7号』(昭10・1935)で古四王を取上げていますが、良くも悪くも当時の関心と認識の程度がうかがえます。
 横山貞裕が、新潟県文化財調査報告書第9『磐船』(昭37・1962)の第二章第二節「周辺古社寺の調査」で「古四王神社」を論じ、新潟県下の分布地を5ヶ所あげ謂われを記し、山形県下の分布を『西置賜郡志』〈下記参照〉をもとに14社とほかに4社をあげ、秋田県にもふれています。
 この論究が新潟県の古四王研究のひとつの画期となったと思われます。
 なお、他の著者による著作の所在地情報の表示等にこれらの成果と同様の記載のあるものがありますが、先行研究に触れていないものがあるのはいかがなものかと思います。
「古四王」は、探求していっても、納得できる一つの答えを見いだすことは難しく、研究成果が上がらない課題ではないかと思います。
 そのため、佐藤のこの論文は古四王研究における現在の到達点を示しているものであり、まさしく出発点なのではないかと思います。

 「古四王」については、古四王神社は新潟県を分布圏に含みますが、東北地域を分布圏とするが新潟県を分布圏に含まない神社との比較とか、他の分布圏の限定された神社との比較検討などもされて良いのではないでしょうか。
 この佐藤論文は、平成27年(2015)に、鶴岡市立図書館・郷土資料館のレファレンスサービスにお世話になり複写を入手しました。

 『西置賜郡志・2輯-宗教篇』(西置賜郡教育会、社会科教育研究会・編 昭29・1954)
  謄写版印刷物 市立米沢図書館蔵



【 大山リストについて 】


 喜田禎吉が、雑誌『東北文化研究・第1巻第6号』掲載の「越の国及び越人の研究(下)=十七、古四王神社と越人」で大山宏の秋田魁新報紙上に連載した「古四王神社祭神考」(大14-12・1925)を取上げ、同論文中に記載した神社所在地二十二箇所を再録しています。ここに喜田が調査した二社と未調査の一社の三社の情報を付け加えています。
 『秋田郷土叢話』(秋田県図書館協会編 昭和九年三月刊・1934)掲載の大山宏「古四王神社の源流を尋ねて」において「古四王研究家のために我が輩が調査し得た同社の存在する地方を列挙して参考に供しよう。」として秋田市寺内以外に二十九箇所をあげています。さらに「不可解な事実が二件潜んでゐる。」と京都府と島根県の情報を記しています。
 ちなみに、同書には藤原相之助「古四王神社の意義に就いて」、田口松圃「国宝建造物古四王神社に就いて」の掲載があります。

 喜田によるところの大山宏の二十二箇所の所在地情報を《大山リスト》と言うことにし、喜田の追加した三箇所を《喜田追加リスト》と表わし、大山の秋田市寺内と二十九箇所については《大山新リスト》と表わしたいと思います。
 《大山新リスト》は当初の《大山リスト》二十二箇所と喜田追加の三箇所の他に五箇所の所在地情報が追加されていることになります。

 記事中に所在地情報を《大山リスト》と《大山新リスト》ないしは《喜田追加リスト》と区分けして記した場合は、所在地情報がどのリストの段階で記載されているかを示すことを意図しています。
 区分けして記すことで、所在地情報の増えていった過程を表わす事ができると思います。

 大山による所在地情報として直接的に実見しているのは「古四王神社の源流を尋ねて」になりますので、その記載にそって秋田市寺内とイロハの順にヤまで記された他の情報を、以下に一覧表にしました。
 《大山新リスト》の《大山リスト》との違いが分かるようにいたしました。


大山新リスト
「古四王神社の源流を尋ねて」
(昭9・1934)
大山リスト 魁新聞連載(大14・1925)
喜田貞吉「越の国及び越人の研究(下)」再録より(昭4・1929)
喜田貞吉
「越の国及び越人の研究(下)」(昭4・1929)
秋田  1 南秋田郡寺内村 南秋田郡寺内村(旧秋田城内、国幣小社)
イ  2 由利郡北内越村中館字宮田 由利郡北内越村中館字宮田
ロ  3  同  本荘町光風園内  同  本荘町光風園内
ハ  4  同  象潟町   同  象潟町 
ニ  5 仙北郡淀川村淀川

へ  6  同  大曲町小貰高畑 仙北群大曲町小貰高畑
ホ  7  同  南楢岡村  
ト  8  同  横澤村中里   (丸山茂)
チ  9 平鹿郡植田村 平鹿郡植田村
リ  10 雄勝郡秋ノ宮村中村 雄勝郡秋ノ宮村中村
ヌ  11 山本郡榊村大字二井田貸子所 山本郡榊村大字二井田貸子所
ル  12  同  檜山町  同  檜山町
ヲ  13  同  鶴形村寺内杉清水  
ワ  14 鹿角郡曙村三ケ田 (北秋田郡又は鹿角郡内に一ヶ所)
山形
カ  1
飽海郡北遊佐村野澤
 蔵王権現鰐口〈略〉
飽海郡北遊佐村野澤
ヨ  2  同  大服部村 (今 稲田村服部か)  同  大服部村(稲田村服部)
タ  3  同  観音寺村   同  観音寺村
レ  4 西田川郡鶴岡 西田川郡鶴岡市
ソ  5  同  豊浦村大字由良   同  豊浦村由良
ツ  6  同  温海村五十川   同  温海村五十川
新潟
ネ  1
北蒲原郡五十公野村 北蒲原郡五十公野村
ナ  2 東蒲原郡津川町
(藤原相之助)
福島
ラ  1
田村郡三春町真照寺境内
 古四王殿(帝釈四天王)

喜田貞吉=田村郡三春町
真照寺内古四王堂
ム  2 河沼郡野澤村 古四王原 河沼郡野澤村古四王原
ウ  3 耶麻郡慶徳村宮在家 耶麻郡慶徳村宮在家
宮城
ヰ  1
刈田郡齋川村 刈田郡齋川村
岩手
ノ  1
稗貫郡矢澤村大字矢澤 稗貫郡矢澤村矢澤
オ  2 紫波郡徳田村 胡四王(北向薬師)
喜田貞吉=紫波郡徳田村
胡四王神社(徳田神社合祀)
ク  3 上閉伊郡土淵村
喜田貞吉=伝聞・未調査
ヤ  4 二戸郡小鳥谷村(コジヤ) 二戸郡小鳥谷村

*このリストが示されてからの所在地情報の増加状況をみると、秋田県はあまり増えていません。
 秋田県域では、大山新リストの14ヶ所が、桑原リストで17ヶ所、月光リスト19ヶ所、佐藤リスト17ヶ所です。
 山形県域では、研究者の取組みのせいでしょうが、大山リストの6ヶ所から著しく増加して、桑原リストで58ヶ所、月光リスト48ヶ所、佐藤リストは41ヶ所と地名27ヶ所になっています。
 宮城には変化が見られません。
 岩手については、桑原リストは大山新リストに同じです。月光リストは及川による所在地情報を加えて6ヶ所としていますが、そのうち1ヶ所は秋田県になるので、岩手県域では5ヶ所になります。佐藤リストでは上閉伊郡土淵村を除いて3ヶ所です。土淵村で所在を確認できなかったために外したのかも知れません。いずれにせよ大山新リスト以降に大きな変化は見られません。
 新潟県については、桑原リストと佐藤リストが10ヶ所(所在地情報に違いがあります)とし、月光リストは3ヶ所です。
 福島県は月光リストが及川による所在地情報を加えて12ヶ所をあげていますが、桑原リストは大山新リストに同じで、佐藤リストは2ヶ所とし検討できなかった情報を含めていないようです。
                                                                                  
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