準備記録 岩手 番外 盛岡
*及川大渓『みちのくの庶民信仰』(昭48・1973)の「古四王神」の項目で「古四王社の鎮座地として古記に見え、ないし現存するものは次の通りである。」として岩手県に関して「盛岡市中野安庭、稗貫郡ー矢沢村矢沢、紫波郡ー徳田村、上閉伊郡ー綾織村」をあげています。 盛岡市中野安庭を古四王の鎮座地として取上げているのは、私に知る限りでは及川大渓のみです。
これを受けて月光善弘による古四王社分布表(月光リスト)には盛岡市中野安庭が記載されています。
*『角川日本地名大辞典(3)岩手県』により、「中野安庭」とはどこなのかを調べてみます。
そうすると、明治元年に「安庭村」は郡内の同名の村と区別するため東安庭村に改称し、明治四年に中野村が東中野村に改称して、そして明治22年に東安庭村・門村・東中野村が合併して中野村が発足〈町村制施行〉して、昭和16年に盛岡市に編入されています。
〈他の参考文献「市町村名変遷辞典」、参考webサイト「盛岡市-市政情報-盛岡市の歴史」「盛岡市歴史的風致維持向上計画ー第1章ー」〉
現在の盛岡市には、中野、東中野、東中野町、東安庭という町域があります。
近世の「安庭村」は「北上川と簗川の合流点の南東、北上川左岸に位置する」「神社は金勢大明神」とのことですので、現在の盛岡市東安庭が及川のいう「盛岡市中野安庭」になるのではないかと思います。
ただ、ざっと調べたところでは現・東安庭に「金勢大明神」は見当たりません。
同地名大辞典で近世の「中野村」に「智和伎神社は沢田の金勢さんと称された」「字立石には…金毘羅神社がある」の記述があり、『平成の祭』によれば現・東中野に両神社があり、地名に金勢、金勢前があります。
東中野に隣接する川目第13地割には金勢大明神社があるようです。
また、同地名大辞典で「東中野」を見ると「五輪(ゴリン)には、安庭のお薬師さんと呼ばれる薬師神社があり、祭神は大己貴命と小彦名命、祭日は5月8日である。」とありますので、これは要注意かと思われますが、由緒などが分かりません。
祭神は花巻の胡四王神社や徳田神社と同じですし、胡四王の本地とされる例がある薬師が神社の名称になっています。
なお、郡内の同名の安庭村は西安庭村に改称されて、明治22年に西安庭村・鶯宿村・繋村・南畑村が合併して御所村になり、昭和30年雫石町・御所村・御明神村・西山村が合併して新たに雫石町となっています。
〈参考文献「市町村名変遷辞典」、参考webサイト「雫石史談会」−「史談百花帖」−「地名」〉
こちら雫石の安庭のほうには「御所」関連地名があります。
*事前調査によっては、所在地情報「盛岡市中野安庭」に関して古四王関連情報は見つけられませんでした。
この及川による所在地情報は、他の「○○郡□□村」という情報よりも時代的に新しいものだろうと思います。
中野に続いて安庭と表記されるのは安庭が中野の一部になった明治22年の中野村の発足以降になると考えて良いと思いますし、盛岡市となっているので、この所在地情報は及川の他の情報とは出典が異なるのだろうと思います。
及川は「中野安庭」情報をどこから入手したのか明らかにしていないので、検証は難しいと思います。
古四王関連情報が記された文献が見つからないと調査は進まないと思われます。