探訪記録 新潟 10
桑原リスト(10)越後国古志郡・古志王神社
《探訪の準備》
桑原は「古四王神社の分布」のなかで、「猶、越後国古志郡の信濃川のほとりに古志王社が存するという指摘が既往諸書に見られるが詳細不明である。特に御教示を得たい点である。」と記しています。
その古志郡の古志王社を桑原はリストの中に入れていますので、それを桑原リストの(10)番としました。
古志郡の古志王神社の所在は不明です。
さて、“既往諸書”とはなにか、私の気が付いた範囲であげてみます。
その論文のなかの古志郡の古志王社の部分のみを取上げています。論文について論評するものではありません。
これらの論文からは多くのご教示を受けております。
*川崎浩良「古志族の検討」(出羽文化史料 昭22年4月・1947)
ー「古志は越前・越中・越後の三国を指し、信濃川のほとり古志郡に古志王神社、新発田の東郊にも古志王神社ありというが、…」、「此処〈補記:信濃川の平野〉には古志郡が置かれ、古志王神社が建てられている。」
*同「美人反別帳」(昭31年8月・1956:全集昭38年)
−「越民族」の「祖先崇拝から起こった越王神が祭られ、…」「古志王神の残っているのは何と言っても本家本元の越後で、信濃川の中流に位する古志郡沃野の古志王神を筆頭に、…」と、信濃川中流の古志郡の古志王神を筆頭としています。
「私は古志王をどこまでも民族的・人種的に解明したいのである。」
*丸山茂「越国と越王神社」(山形県文化史・第一巻 昭23年1月・1948)
−「越王神社は〈略〉。先住民族の越族の神であるからである。」「越の道の王(きみ)が本国に居って同族を支配していたらしく、加賀国石川郡に味知神社、越中射水郡に道神社が祀られている…」「越の王(きみ)の通称は道の公(きみ)である。」
「成務天皇の御代に古志国造となった市入命は、大彦命の男大稲輿命の子となっているが、大稲輿命は大宇奈具志、乃ち宇奈の越の君であって、延喜式古志郡六座の宇奈具志神社の祭神であり、越前国坂井郡都奈高志神、陸奥国気仙郡登那高志神と同じく越王系の神であると、藤原相之助氏は説いている。」
「越の道公即ち越ノ王を祀ったのが越王神社である。」「越後国古志郡の古志王神社を本拠として、その分布は…」
*同「腰王神社及び越王山の考察」(昭和10年論文)
ーこの論文中には古志郡の古志王神社という記述はありません。
文中に「前述の所部腰王神社があり、又昨年(昭和九年夏〈著者による補足〉)川崎浩良氏が、南村山郡小白府街道長谷堂山中にも腰王神社を発見し、云々」があり、先の藤原説の引用を記したのと同様に当時の研究者の状況をつたえる資料になるかと思い記しておきました。
*『西置賜郡志・2輯宗教篇』(昭和29年・1954)の「古代民族と腰王神社」の項目
〈横山貞裕は『磐舟』のなかで「山形県下における古四王社の分布は、西置賜郡志によれば次の十四社である。」とこの書を引用。〉
−「西置賜郡の巨四王神社については、研究調査が全然行なわれていないが、これに関する問題を出羽文化史料によって或る程度その内容を知ることができる。」と川崎浩良『出羽文化史料」についての記述があります。
「腰王神社の北面であることは〈略〉古志族が北方を種族祖先の母国として…」「更に県外の分布を大観すると、本神は越後古志郡の古志王神であり…」「古四王は越王と同音異字である。越ノ王を祭ったのが越王神社であるといわれている」
*池田宗機「越王(古四王)信仰について」(『方寸』第5号 昭和49年・1974)
−「わたしが古四王神社の存在を知ったのは〈略〉『遊佐の歴史』の編集に参加したときからである。資料あつめに郷土史を参照していたとき、川崎浩良氏の『出羽文化史料』や丸山茂氏の『山形県文化史』の中に、遊佐の杉沢・野沢・服部に古四王神社のあることが記載されていたからである。」「越王は、〈略〉などの当字があるが、根源社は加賀国石川郡の未知神社、越中国射水郡の道神社、越後国古志郡の古四王神社といわれているが…。」とあります。
また、「越」について、藤原相之助・水野□〈示に右〉・津田左右吉・喜田貞吉の見解を記しています。
*『古志王神社の研究』(小国高等学校郷土史研究班共同研究・長岡先生指導 昭36・1961)
ー「更に県外分布を大観すると本神は新潟県古志郡の古志王神社であり」と、『西置賜郡志』と同様の記述があります。
長岡先生は、『小国町史』のあとがきにお名前が記されている方々の中の元小国高校・長岡高文氏かと思います。
なお、『小国町史』(小国町誌編集委員会 昭41・1966)には、「もともと古四王神社は越ノ道公(こしのみちのきみ)、すなわち越ノ王を祭ったのが越王神社である。」とはありますが、本神・本拠への言及はありません。
古志郡ではなく西蒲原郡巻町(現・新潟市西蒲区)のこしわ(越王)といわれる地を古四王の本社としているものもあります。
*『小国の信仰』(小国町誌編集委員会 平6・1994):古志王神社の項目
ー「古四王神の基本となる本社は、西蒲原郡巻町字越王に比定されている。」
*『小国の交通』(小国町誌編集委員会 平8・1996):古四王神社北進の道の項目
ー「この巻町竹野町に字越王の地名がある。この越王は、古四王神の本社とされまたここを基本と考えられている。」
*『小国の文化財』(小国町誌編集委員会 平11・1999):古四王神(大滝)の項目
ー「古四王神の本社は巻町竹野町字越王に比定されている。」
何れも地名にも「こしわ」のふりがなはありません。振仮名が無ければコシワとは読まないと思います。
また、上に記した論文に引用されている藤原相之助の論文から、取上げられている神社名を抜き出してみました。
かなり自由な発想を展開されておりますが、「古志郡の古志王社」のようなことは記されていません。
*「美人国祖神記」(「古四王神考」以前の著作。『東亜古俗考』(昭18)に収録)
−「私は之(補記:古四王神〉を越民族が至るところに其祖神を祭った蹟だと断定したいのです。秋田には越の道の君が早く遷つて来て宗廟を建てたので、大社の規模が残り。遙かに北越の弥彦庁と相応ずるの観があり、他の各地のは、その支族の占居して祀ったものと解します。即ち高志乎(コシオ)の神と呼び申すべきであらうと思ひます。」「至るところに祖神を祭ったので、今の延喜式官帳に残っている分でも、越前国坂井郡都那高志神社、越後国古志郡宇奈具志神社、陸奥国気仙郡登奈考志神社、があります。都那、宇奈、登奈は分居した地の名でありませう。」〈太字にした高志・具志・考志には著者による傍点が付されています〉
「古四王は越汐路の王です。」
*「古四王神考」(昭6年。『東亜古俗考』(昭18)に収録)
−「それ故越の道の君といえば本来、北陸の交通線を総括した首長です。高志乎(コシオ)の道の君から、越の道の君、越王とも略称されたのです。この道の君の権威のあったことは、越中国射水郡の道神社、加賀国石川郡の味知神社(何れも式内社)が今でも残っているのに徴しても、知られます。」
「この山陵の伝へから見ても、越種族の太祖の廟所は弥彦山であって諸国の越王神の大本山は弥彦山であらうと思ひます。」
*「古四王神社の意義に就いて」(『秋田郷土叢話』に収録 昭9年)
「古四王神考」と双子のようなこの論文において、その最後に「越王は(略)奥羽越諸所に祭られて居ります、其主なるもの左の通り」として新潟県3社、山形県3社、岩手県2社、宮城県1社、福島県2社をあげ、秋田県各地の分は名にも及びますまい。と記しています。
このリストは「美人国祖神記」のリストと微妙に異なり、新潟県については祖神記の五十公野と津川の2社であったところに中蒲原郡蒲原の五社明神を加えた3社になっています。
古四王の「本社」への言及は、何故か意欲的に古四王神社探求に取り組まれている山形の研究者に多く見受けられます。
ただ、古志郡の古志王社とか信濃川の中流とかの記述の仕方は、具体的な場所を承知している場合の書き方ではないように思います。
論理的な展開から古志郡の古志王神社を措定されていて、古志王神社の古志郡での実在にはあまり拘泥しておられないのかも知れませんが、書かれたことは一人歩きし、あるいは検証されること無く他書に引用されて定着されていきます。
神社の存在の確認作業は、情報流通面での時代的な問題があり、簡単なことではなかったことと思いますが、「本社」に関する記述が無くても論文は成立していると思いますので、「本社」についての記述を抑制できなかったのだろうかと思います。
これらの論文は(山形県の)古四王神社の調査研究に大きく貢献していると思います。
さて、藤原のとりあげた*古志郡の宇奈具志神社には、論社として長岡市の金峯〈キンプ〉神社の境内社とされる又倉神社(王神様)があるとのことです。又倉神社の王神祭は新潟県無形文化財に指定されているそうです。
又倉神社の祭神は、大地主命(おおとこぬしのみこと)、須勢理比売命、沼奈川比売命(金峯神社のHPによる)。
又倉神社(王神様)を記しておきたいと思います。
また、長岡市島崎(旧・和島村島崎)に宇奈具志神社があります。ただ、式内・小丹生(おにふ)神社を称しているそうです。
祭神は、大田命で健御名方命・素盞鳴命・大物主命を合祀。
見附市に小丹生神社があるそうです。
出雲崎町乙茂にも宇奈具志神社があるとのことです。こちらの祭神は、天穂日命で健御名方命・大山祗命を合祀。
*坂井郡の都那高志神社は、足羽神社(福井市足羽)に合祀されているそうです。
*気仙郡の登奈考志神社は、大船渡市猪川町・氷上山山頂に鎮座。
里宮・氷上神社(陸前高田市高田町)
氷上神社については、岩手県神社庁の神社検索(岩手県神道青年会HP)が参考になります。
*加賀国石川郡の味知神社は、廃絶し現在不詳とのことです。
*射水郡の道神社は、『平成の祭』によれば、旧郡名・射水内に三社あり、射水市(旧新湊市)作道の道神社の祭神は大彦命・彦屋主田心命、高岡市五十里の道神社の祭神は大彦命、氷見市中田の道神社の祭神は猿田彦神とあります。
〔参考文献:「具志神と王神に就いて」田中良三=『高志路・通巻151号』(昭29-3・1954)
WEbサイト『延喜式神社調査』(提供者 阜嵐健)