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探訪記録 福島  4


*新編會津風土記の腰王神社 その4(区分ニ)  
《新編會津風土記の所在地情報》
(ニ)耶麻郡(塩川組)深澤村  ○熊野宮 相殿・腰王神
         (此村米沢に通る裏街道なり)
  ○神社項目の記述〈抜粋〉
   ○熊野宮境内東西四間南北六間免除地村の丑寅の方小高きところにあり、鎮座の始詳ならず、
    北小路大久保播磨仮に是を司る
   〔相殿七座〕△伊勢宮二座 一座は本村より移し一座は田中村より移しつ △稲荷神 △富士神 △菅明神
    △山神 竹屋村より移しつ △腰王神 同上 
  *田中村の神社項目〈抜粋〉
    稲荷神社 村中小高き所にあり 龍泉寺是を司る
  *竹屋村の神社項目〈抜粋〉
    諏訪神社 村東一町石階を登て山上にあり 修験国全院の司なり
    麓山神社 村東一里計山中にあり 塩川村北野院是を司る

《探訪記録》
 桑原リスト外。
 明治8年深沢村・田中村・竹屋村が合併し中屋沢村。明治22年中屋沢村等が合併し駒形村。
 明治42年塩川村町制施行し塩川町に。
 昭和29年喜多方町・慶徳村等が合併し喜多方市発足。
 昭和29年塩川町・駒形村等が合併し、改めて塩川町発足。
 平成18年塩川町等が喜多方市と合併し、改めて喜多方市。
 地図で住所検索をすると喜多方市塩川町中屋沢中があり深沢甲が存在し、地図上で場所を知れます。

*2009年9月22日(平21)探訪
 住所・地図情報があるため比較的容易に熊野神社を見つけることができます。
 こんもりとした樹木におおわた小山のようで、近づくと広場があり鳥居が建っていて村社熊野神社と彫られた石社標があります。
 この社は古墳上に建てられた神社らしく、史跡深沢古墳の石碑と塩川町指定文化財・史跡深沢前方後円墳の看板があります。
 鳥居をくぐり二十数段の石階段をのぼると社殿があります。
 鳥居と向背柱に左縄に綯われた注連縄が張られています。境内の木に替えられた注連縄が巻かれていますので、きちんと祀られているのでしょう。
 社殿の床下にいろんな物が置かれていて石組みのようなものもありますが何のためのものかは不明です。

 「熊野宮」は実際にありましたが、古四王に関するものは見当たりません。


 左上: 古墳の石碑  右上: 社標・鳥居   左下: 石段  右下: 社殿

 田中地区に入ると、舟森山古墳上に村社稲荷神社があります。古峯神社村中安全の石柱、厩山の石碑があります。 
 竹屋地区に入ると福島県指定文化財・竹屋観音の看板付近に木の鳥居があり参道の彼岸花に導かれるように入っていくと方形の建物がありその後に石階段が続いていて、のぼると嘉永元年の灯籠柱そして赤い小さな社が祀られています。
 ここも古墳のようです。神社の名前は不明ですが、新編會津風土記の記述からすると諏訪神社でしょうか。
 古墳は墳丘がうがたれたりしており変形しているとのことです。
 こちらの写真も載せておきます。


《探訪の整理》
 『平成の祭』によれば、塩川町中屋沢地内の神社は3社。
 *熊野神社 (主)伊邪奈美命 中屋沢字西ノ宮甲798〈宮ノ西甲が正しいか〉  境内社等の記載なし。
             現在の住所: 喜多方市塩川町中屋沢宮ノ西甲798
 *稲荷神社 (主)倉稲魂命  中屋沢字田中乙318   境内社等の記載なし。
 *諏訪神社 (主)建御名方命 中屋沢字観音森丙728  境内社等の記載なし。
               現在の住所表示に観音森丙はないもよう。台畑丙になるのでしょうか?
               ちなみに、竹屋観音寺は、中屋沢台畑丙697
               観音寺境内の観音堂で検索すると観音森丙726という情報があります。

 この探訪では、熊野神社の存在と所在地を確認できましたが、古四王に関するの情報はなしという状況です。

 『喜多方史跡めぐり』では、「塩川町竹屋」が古四王神社の所在地として知られると記され、塩川深沢の熊野宮も記されています。
 新編會津風土記には竹屋村にあった腰王を深沢村熊野宮に移したと記されています。
 「塩川町竹屋」に古四王はあるのでしょうか。この情報は誤りなのでしょうか。
 西会津町野沢の古四王神社のように会津藩が社を移しても旧社地で祀られているようなことがこの竹屋村でもあったのでしょうか。 古墳の上に社殿があれば、取り壊しても新田にはできないということになるかもしれませんし。
 調査はできていません。 
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