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探訪記録 福島  5


新編會津風土記の腰王神社 その5(区分ト) 
《新編會津風土記の所在地情報》
(ト)河沼郡(代田組)槻橋村(ツキノキバシ)  ○鬼渡神社 相殿・腰王神
         (村東に米澤裏街道あり)
 ○神社項目の記述〈抜粋〉
   ○鬼渡神社境内東西十八間南北九間免除地 村中にあり、草創の年代詳ならず〈略〉、大和田村佐々木右京が司なり
   △伊勢宮 境内にあり
  〔相殿十座〕△腰王神 本村より移せり △伊勢宮二座 一座は藤倉村より移せり △鹿島神 藤倉村より移せり
  △諏訪神 △天神 △婆権現 同上 △稲荷神・食道村より移せり △熊野宮 △白山神 同上

《探訪記録》
 桑原リスト外
 明治8年槻橋村藤倉村食道村等が合併し倉橋村。明治12年河沼郡発足。明治22年倉橋村等合併し日橋村。
 昭和32年日橋村堂島村が合併し河東町となる。 ⇒河沼郡河東町大字倉橋
 平成17年河東町が会津若松市に編入。     ⇒会津若松市河東町倉橋

*2009年9月22日(平21)探訪
 地図を調べると会津若松市河東町倉橋槻木に鬼渡神社があるのでそこを訪ねます。
 集落に入ると槻木多目的集落センターの道路側に古峯神社碑・石碑・道標・自然石が並べられています。
 この辺りもかつては信仰に関する場所だったのだろうか。
 かつて古四王があった場所の痕跡は何か残っていないのだろうか。この集落は平地なので残りにくいだろうが。 
 迷うことなく鬼渡神社に到着しました。
 橋・社標・参道・石鳥居・灯籠があり奥まって基壇上に社殿があります。
 社殿右に稲荷社があり、基壇の左側に神社整備の記念碑等、右側には金毘羅大権現石碑、窪み(お札収めのためか)のある石宮、台石〈上に祠ののっていない〉があります。
 境内に伊勢宮らしきものは見あたりません。
 古四王をしめすものも見あたりません。社殿の中もうかがえません。 訪ねて知れたのはここまでです。

 左上:集落センター側の石碑・他 右上:鬼渡神社参道入口
 左下:参道から社殿を見る。右鳥居は稲荷社 右下:社殿と石碑群

《探訪の整理》
『平成の祭」 : 鬼渡神社(キワタリ) 祭神 (主)阿須波能神、波比岐能神
       鎮座地 河沼郡河東町大字倉橋字クネノ内丙308
       現住所は、会津若松市河東町倉橋槻木60

       データでは、河沼郡に鬼渡神社は5社あるとされます。
       他の4社の祭神は(主)阿須波神、波比岐神。

 ここで鬼渡神社と表記されている神社も、表記及び読みが幾通りもあり、東北地方に分布し、新潟県域には入っていないようです。
 興味深い神社です。
                                                                                                         
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