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探訪記録 福島1〜8 まとめ ・他


*新編會津風土記の「腰王」についてのまとめ
 新編會津風土記に記載のある「腰王」8社を訪ねた結果を「まとめ」ました。

 ○社殿をもつ社が5社ありました。
  ・喜多方市慶徳町松舞家の古四王神社
  ・耶麻郡西会津町野沢の古四王神社(こしのうじんじゃ) 〔相殿の社〕
  ・会津若松市東山町湯本の高志王神社
  ・会津若松市湊町大字共和の高志王神社
  ・大沼郡会津美里町氷玉(藤巻神社境内)の古四王神社  〔相殿の社〕 
      
 *2社は新編會津風土記では、元の社地から移されて相殿の社になったことが記されていましたが、独立した社殿を持っていました。
  1社は「こしのう」とふりがながされています。
 *高志王神社と表記する社が2社あります。 この記事末に《 コシオウの表記について 》を追記。

  8社のうち5社は現在も存在することが確認できました。

 ○相殿に移された3社については、合祀先の神社は存在しましたが、古四王の存在を外見からは確認できませんでした。
  ・塩川町中屋沢の熊野宮 相殿・腰王神
  ・会津若松市河東町倉橋槻木の鬼渡神社(キワタリ) 相殿・腰王神
  ・会津若松市北会津町柏原の神明神社 相殿・腰王神

  遠方の者が神社や郷土のたどった歴史を調べるのは、資料を探すのも入手するのも訪ねるのも難しいことなので、地元の方のお力によるほかないと思います。


*新編會津風土記の「越王山」の記事について  区分外
《新編會津風土記の情報》
 耶麻郡(川東組)都沢村  ここに越王山の記載があります
 ○神社項目の記載〈抜粋〉
  ○若宮八幡宮 村東一町にあり、鎮座の年代詳ならず、関脇村土屋出羽が司なり
         〔相殿二座〕△熊野宮 △愛宕神
 ○寺院項目の記載〈抜粋〉
  ○正福寺 村中にあり、真言宗越王山と號す、
  ○地蔵堂 村中にあり… 正福寺これを司る、

 寺の山号に「越王山」とあります。「古四王」と何らかの関連がないかどうか行ってみたいと思います。
 喜多方市の古四王神社のある集落(宮在家)に「腰王山長傳寺」があったという例があります。

《探訪記録》
 耶麻郡都沢村は、今の耶麻郡猪苗代町関都都沢になるので、集落内に正福寺を探します。

*2010年12月11日(平22)探訪
 地元の方にお伺いすると、正福寺はけっこう大きな寺だったが焼失して再建されず仮堂が村はずれにあるとのことでした。
 仮堂と思える建物を訪ねましたが閉めきられていて表示もないので仮堂かどうかも確信は持てません。
 また、寺院のような表札がある家の尼さんのような方〈メモを取りませんでしたが、天台系の庵寺か〉からは、神社のある山を越王山ということを聞きました。
 山の名前がコシオウヤマということが事実であれば、地名にコシオウが残っている場所として情報を記しておく方が良いと思い記しました。
 若宮八幡宮に古四王関連の情報は見いだせません。
 『平成の祭』: 若宮八幡神社  祭神 (主)大鷦鷯命(おおささぎのみこと)
               鎮座地 耶麻郡猪苗代町大字関都字清水ノ上4411

 左: 地蔵堂   右: 若宮八幡宮(山中に鎮座)の鳥居、鳥居からのぼる山が越王山?


《 コシオウの表記について 》
*「福島 7」の藤巻神社境内の古四王神社の記事に、『本郷町史』の「高志王神社」の項目から「若松県になった明治五年高志王と書き改めさせられたという。これはおそらく神道の大家坂内須賀美が当時高田の伊佐須美社禰宜であったときで四道将軍の一人大彦尊が、後に高志王と名のった方であるので高志王が正しいものとして書き改めさせられたものと思われる。」を引用しました。
 若松県のうちで、藤巻神社境内の古四王神社の1社だけが書き改めることになったわけではないと思いますので、「福島 3」の東山の高志王神社も「福島 6」の西田面村の高志王神社も、この明治5年の若松県での社名書き改めによる表記と思われます。
 この両社は『平成の祭』にも記載されていますので、神社関連の公的書類に書き改めさせられた高志王という表記で記されたと思います。このことで、高志王神社という表記が今に伝わっているのではないかと思います。
 会津美里町氷玉の藤巻神社境内の古四王神社は『平成の祭』に記載がないので、公的書類に高志王神社と記されることを免れたのではないでしょうか。この古四王神社の旧社地の地名が古四王山とのことです。
 「福島 2」の野沢の古四王神社の記事で、『新編会津風土記』では諏訪神社の相殿六座には「腰王神」と記されていますが、地名では野沢に「古四王原」地名があることも記載されていることを記しました。野沢の古四王神社は、『平成の祭』にも記載されています。
 「福島 1」の喜多方の古四王神社の記事でも、『新編会津風土記』に「腰王神社」としながら「別当は四天王の木像を安置せる故、古四王といえり」を記載しています。
 旧会津藩領の新潟県東蒲原郡津川(現阿賀町)にも、『新編会津風土記』では「腰王神社」と記されている、明治になって高志王神社と社名表示を改めた神社があります。高志王神社と記している『神社明細帳』に「津川町鎮守四社の一にして字古四王に鎮座す」と記されています。
 『新編会津風土記』は、「腰王」に表記を統一していますので、腰王と記されていても元々の社名表記を反映しているとは限らないと思います。
 同書は、江戸時代に神社を古四王と記し、古四王の地名があることを示す資料でもあると思います。

 喜多方の神社も野沢の神社も氷玉の神社も、元々は社名表記を古四王と認識していたのではないでしょうか。
 東山の神社も西田面の神社も、元々は古四王であった可能性があるのではないかと思います。


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