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探訪記録 福島 15  大字小田川字古四王山


《 探訪前の調査 》
*白河市小田川に古四王山という地名があることで、古四王神社の鎮座する山名が地名になっているのではないかと、手掛かりを探していました。
 白河市小田川古四王山は地名表記で、「古四王山」というのは平成17年11月の「大字及び字の名称の変更」以前は大字小田川の字古四王山(こしおうやま)という「字」の範囲を指す地名となるようです。
 地元の方が山として古四王山と認識している範囲と地名としての古四王山の範囲は同じ範囲なのだろうかと思います。

 先ず、旧・字古四王山の範囲はどのあたりかと地図を見てみますと、インターネットの著名なG-MAPの示す範囲と私の使っている著名な地図会社系かと思えるPC用の有料地図「いつもNAVI PC」の示す範囲が異なっていました。
 白河市の防災マップ「P25詳細図(白河地域大沼、小田川地区)PDF」の右側の中断付近に「古四王山」とある場所、
 《 https://www.city.shirakawa.fukushima.jp/data/doc/1683589336_doc_43_0.pdf 》
 及び白河地域の農業用ため池ハザードマップの「山田池(小田川)ハザードマップ」で「古四王」とある場所は、G-MAPでは「銭神山」となっています。 《 https://www.city.shirakawa.fukushima.jp/data/doc/1691367959_doc_196_0.pdf 》

 G-MAPでは「古四王山」の範囲は、「銭神山」の東側になっています。
 私の使っているPC用有料地図では、その両方の範囲に古四王山の表示がされています。
 G-MAPの「古四王山」の範囲の東南側は泉崎村の中核工業団地になっています。
 国土地理院の空中写真閲覧サービスで当該付近を見ると、昭和50年には国道4号線の南側から東北本線の北側まで山地が続いています。 平成4年の空中写真では、工業団地の造成が行なわれていて山が削られています。
 白河市と泉崎村の境界線にあわせて山を削って造成しているようです。

*そうすると、G-MAPの「古四王山」は地名範囲ですが、山としての古四王山と呼ばれていた範囲は、もしかすると工業団地の造成部分にまでおよんでいたのかもしれないと思います。
 中核工業団地の北西の角から北の、泉崎村と白河市の境界上にある標高420m程の山頂が古四王山の最高点のようです。
 比高差は、国道4号線が310m程ですので、最大110m程の山のようです。
 G-MAPの「銭神山」のほうは、ピークが390m程です。
 G-MAPの「古四王山」と「銭神山」の間には細長い標高310〜330m程の谷間があって、そこには田圃の地図記号があります。
 谷の奥の標高330m程に池(山田池)があります。農業用ため池ハザードマップの山田池です。
 谷地で隔てられているようですので、「古四王山」と「銭神山」は別々の山と見られていてもおかしくは無いと思います。
 地名としての古四王山の範囲もよく分らない状態です。

*古四王山及び古四王神社についての資料も見出せていませんので、白河市立図書館のレファレンスサービスに問合せをしてみましたところ、小田川関連や寺社関連資料ばかりでなく泉崎村の関連資料にもあたってみても「古四王山」「古四王神社」に関する事項は確認できなかったとのことです。


《 2023−11−11 白河市 》
○白河関跡を訪ね、小峰城跡を訪ねるので、小田川(こたがわ)を訪ねてみることにしました。
 小田川内に明確な目的の場所を見出せてはいませんが、古四王山を自分の目で見てみようと思います。
*先ず、「銭神山」の近くのほうで、古四王山について聞いてみようと思います。
 国道4号線を西から東に進み、「小田ノ里」集落の東の端近く、国道の南側(進行方向の右側)の地名では「天王下」の手前で国道から脇道に右折して進入しました。
 「天王下」の南方面に、白河市の防災マップ等に「古四王山」とある場所が位置しているので、その方面に車を向わせた訳です。
 そうすると、住宅の前の道路脇の農地で作業をされているご婦人がいらしたので、古四王山と古四王神社についてお聞きしてみたところ、神社は知らないし古四王山はもっと東のほうの山だということでした。
*G-MAPで「古四王山」とされている山地の西側に南北に延びている尾根があります。
 この尾根は「銭神山」との間に谷間を形成している尾根になり、またこの尾根の東側にも谷間が入り込んでいます。
 この尾根の先端付近は「三斗蒔」という地名のようです。
 「三斗蒔」に延びる尾根を通り越して「込内」という地名の方へ入ってみました。
 「込内」の南側の山には、「いつもNAVI PC」もG-MAPも「古四王山」の表示がされています。
 その近くでお会いできた中年男性にお話をお聞きすると、目の前に見える山が古四王山とのことでした。
 山の上に祠があるとのことですが、何の神様かは知らないそうですし、古四王神社の事も聞いたことが無いとのことでした。
 山の祠については、石祠と思い込んでしまったようで、どんな祠かは伺いませんでした。
 「込内」の東南側にある山を、地元の方は古四王山と認識しているとしてもよいように思います。

*この方から、以前にこの地域のことを調べていた郷土史家がおられて、その方は亡くなっているけれどご子息が近くにおられるので、尋ねてみたらどうかと、教えていただきました。
 「小田ノ里」の方で、郷土史家のご子息家を探しあてたのですが、お留守でした。
 帰宅後、ご子息様宛に問合せをさせていただきましたところ、ご丁寧な連絡がありました。
 いろいろ探していただいたようなのですが、郷土史に興味を持っていた方が亡くなられてから相当経過していて、家の建て替えもあって、古四王山関連の資料が残っていないとのことでした。
 私が、資料が無い、あてが無いと先延ばしにせずに、気になったときにこの地を訪ねていたら、もしかすると何か得るものがあったのかも知れませんが、どうしても訪問の優先順位が生じてしまいます。

*それにしても、地名にはっきりと「古四王山」が残っているのに、その謂れが不明で、古四王神社との関連を窺わせる資料も無いというのは、何故なのでしょう。
 古四王神社が勧請されたとしても、地域の方々に信仰が広がらなかったのでしょうか。

*カシミール3Dの解説本の地図に赤文字で地名などを書込んだものと、国道4号付近からの古四王山の写真を載せます。
 地図のは写真を撮影した場所です。
 写真は、三斗蒔付近の尾根の先端からはじめて西から東へ写して、左から右へ配置しています。




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