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探訪記録 山形  33 : 村山  8


佐藤リスト 位置番号 28 : 山形市常明寺・除地 小四王社
                 〈桑原リスト:なし

《探訪の準備》
*この情報は月光リストに記されています。このリストアップは月光の調査によるものです。
 月光『古志(四)王神の信仰ー出羽国における古代神としてのー』の「追記(2)」に「山形市大字常明寺除地にある常明寺(真言宗智山派)の裏山に小四王社が古くから祀られており、別当をつとめている」の記載があります。
 文献資料などの関する情報はありません。

 市町村の変遷を見てみると、明治22年に東村山郡古館村・上反田村・下反田村・滝平村・常明寺村・芳沢村によって大曽根村が発足し、昭和31年に山形市に編入となっています。
 現在の住所の表示を見ると、山形市常明寺には番地のほかに除地という表示がありました。

 ネットの有料地図で山形市常明寺の除地を検索すると、まさにお寺の常明寺が指し示されました。

*インターネットを検索すると大曽根コミュニティセンターのホームページがありました。
 その地区紹介の項目に大曽根の歴史マップがあり史跡・寺社・施設などが示されており番号が振られています。それらが各地区ごとに分けられて写真が載っています。
 常明寺地区には龍燈山常明寺・常明寺八幡神社・小四王大権現・等が載っていました。
 小四王と表記されています。
 存在することと場所が分かりました。
 由緒来歴はどうなのでしょうか。

《探訪の記録》
*2018年11月11日
 前もって文献に目を通すことはできませんでした。
 存在する場所の情報だけで訪ねました。
 先ずは除地にある龍燈山常明寺を目指しました。
 大字常明寺の公民館がある広場付近に車を駐めて、少し南に歩いて寺・常明寺に続く狭い坂道を登っていくと左右に石垣があらわれ、右側の石垣で土留めされた高台にお寺があるようです。
 坂道は石段になり、登ると正面奥に妻入りの神社のような建物があります。
 登ってきた石段から右に行く数段の石段があり、龍燈秘山と常明密寺と彫られた標柱が左右にあり、奥にお寺の建物が見えます。
 お寺の方にお聞きしましたところ、妻入りの神社のようにも見える建物は、小四王神社でも八幡神社でもないとのことです。

 坂道にいらした方に小四王神社のことをお聞きしましたところ、ご存じで場所を教えていただきました。
 坂道をはさんでお寺の向い側に空き地があり、お寺側から見てその空き地の奥に木立の小山があり、そこに小四王神社があるとのことで、空き地のへりを通って行けるとのことでした。
 そのとおりに空き地のはじを通っていくと小山に行けました。
 小山を回り込んで登ると木立越しに社殿の屋根が見えました。
 社殿は小山のように見える高い場所にあります。
 社殿の正面側には石段があり、草が石段に覆い被さっていました。
 社殿は方形で1間まではないようです。
 屋根は向拝部分にひさしが伸びていますが基本的には方形造で頂部に露盤のようなものが置かれその上に角形のものがあります。
 社殿に向って左側に小石祠が祀られていますが、なにが祀られているか不明です。
 ざっと見ただけですが、周囲に穴あき石は無いようです。
 社殿の向きは、集落に向うかたちのようですので東側に向いているようです。
 小四王神社には、社殿に向って右側から来たわけですが、本来の参道は社殿の正面に対して左側から登ってくるようです。
 古いものと思いますが、石を置いて段が作られていました。
 その石の段を降りていくと、集落に続く道と山の奥に行く道とに分かれて、集落に続く道の先は民家の敷地のようにみえましたので、それ以上は進みませんでした。

 来た道を戻り、あらためて集落の道から小四王神社へ続く道を探しました。
 常明寺公民館の広場から南に行く道を、寺・常明寺に続く坂道よりさらに南に60メートル程も行くと、細い道のような民家の敷地のような場所がありましたので、おそらくここを進むと小四王神社のある小山の所に行けるのではないかと思いましたが、民家の敷地のようですので行ってみませんでした。

 左上: 社殿正面の石段と草の状態                   右上: 社殿正面
 左下: 参道の登り道                            左下: 参道の石段


《探訪の整理》
*月光は「大字常明寺除地にある常明寺の裏山に小四王神社}と記していますが、山は寺・常明寺及び大字常明寺の西側にあり、小四王神社は寺・常明寺の南に位置していますので、集落の西にある集落の裏山に祀られていると言う方がよいかと思います。

*『大曽根村概史 山形市合併の記録』(樋口 武 昭61・1986)の「第二 宗教の章」に大曽根村の六大字(古館・下反田・上反田・常明寺・芳沢・滝平)について村社の部と社祠の部として神社についての記述がありました。
 村社の部には、上反田に八幡神社・下反田に八幡神社・古館に伊豆神社・滝平に神明神社・芳沢に八坂神社・常明寺に八幡神社が記されています。常明寺の八幡神社の社殿は「石祠(安永七戊戌年三月十五日)」と記されています。
 社祠の部の常明寺の部分には「阿弥陀如来 社主 常明寺部落/小四王神社 社主 常明寺部落/十一面観世音 社主 ◯◯/薬師如来 社主 ◯◯」〈◯◯は個人名〉〈/は改行〉の記載があります。
 この社主に集落名があるのは常明寺だけで、他の大字では社主は個人名のみです。
 社祠の部で◯◯神社と記されているのは小四王神社だけで、他は八幡大菩薩・稲荷大明神・山ノ神などと記されています。
 小四王神社の由緒などは記されていません。
 これらの記載は「大曽根鎮守誌より」とありました。『大曽根鎮守誌』は、『大曽根村概史』の「序にかえて」によると同著者により昭和54年に記されたもののようです。
 山形県立図書館の蔵書検索によると『大曽根の鎮守誌』(樋口  武 大曽根郷土史研究会 1979)があります。
 ここにはもう少し詳しい記述があるのかも知れませんが、未読です。

 小四王と表記されていますが、その表記はいつまでさかのぼれるのでしょうか。
 小四王神社と記されていますが、社殿が方形造でもあり、コシオウ堂であったかもしれないと思います。

*『山形県の地名』(平凡社 平2・1990)の「常明寺村」の項目の文末に「天和二年(1682)再建されたとされる火伏・豊作・安産を祈る小四王神社〈振仮名-こしおう〉がある。」とあります。

 なお、六大字の村社は、大曽根コミュニティセンターのホームページの地区紹介の項目には写真と供に載せられていますが、『山形縣神社誌』で山形市の神社を見ると古館の伊豆神社はありましたが、他の五社は見つけることができませんでした。
 法人社の登録をしなかったのでしょうか。


 《 追記 2020−07 》
*『大曽根の鎮守誌』(樋口 武 大曽根郷土史研究会・発行 昭54・1979)の「大字常明寺」の中に「小四王大権現 常明寺部落 浦山 旧三月十五日」とあり「茅葺屋根一間四方造りの堂宇が老杉に囲まれひっそり建っている。安産の神として厚い信仰があり、幼児を抱いた若夫婦の絵馬が奉納されている。」とあり、扉を開けた堂宇の写真がありました。

 私が訪ねた時は、屋根は金属板葺きでした。

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