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山形・村山の古四王神社
村山の古四王神社について
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探訪記録 山形 41 : 村山 16
佐藤リスト : リスト外
桑原リスト : 北村山郡高崎村・古四王子五聖山
《探訪の準備》
この所在地情報は、佐藤の神社所在地リストに無く、地名所在地リストにもありません。
桑原リストの所在地情報にありますので、取上げておきたいと思い、記事にいたしました。
*藤原相之助『美人國祖神記』に「古四王子五聖山 羽前國北村山郡高崎村」、同『古四王神社の意義に就いて』には「山形縣北村山郡観音山 五聖堂」があります。
*及川大渓『みちのくの庶民信仰』の古四王の訛りと考えられるとして追加した情報の中に「羽前国北村山郡ー観音山 五聖堂」があります。
*北村山郡は、明治11年に村山郡のうち2町104村をもって発足しています。
高崎村は、明治22年に観音寺村・関山村・名和新田・大江新田をもっての発足です。
北村山郡に観音山という地名は私が探した限りでは見当たらないのですが、「東根市大字泉郷字観音山2416」に村社・稲荷神社があるという情報が『平成の祭』にあります。
現在の地名では東根市泉郷に観音山が見当たりませんし、泉郷がかつて何村であったか不明です。
*大字泉郷には、熊野神社があり『平成の祭』による住所情報は「東根市大字元万善寺字本郷100-7」になっています。
万善寺村は明治22年に野川村等と合併して東郷村になっていますので、泉郷は東郷村の村域の一部に当るのかも知れません。
熊野神社の現住所は東根市泉郷100-7です。
試みに現在の住所検索で、観音山の字名を除いた東根市泉郷2416を入力しても検索結果はありません。
字観音山の村社・稲荷神社を地図情報では特定できませんが、泉郷乙の自牧寺から東南方向へ500㍍程の所にある神社かも知れないと思っています。
『平成の祭』では他に、春日神社=大字泉郷字赤木2、神明神社=大字泉郷字神明イ2850、黒伏山神社=大字泉郷字黒伏山3262、三社山神社=大字泉郷元後沢字上平1100が記されています。
春日神社の現住所は東根市泉郷2で住所検索されますが、他の社の現住所表示は不明です。
泉郷に萬藏稲荷神社という社があるようですが、村社・稲荷神社ではないでしょうし、この神社名は『平成の祭』にはありません。
その社の場所は、泉郷地域の西の端のほうになり、野川地域の西の端よりも西になります。
泉郷は、かつての野川村と観音寺村の北部にあたるように思えます。
泉郷は、東根市東根乙の地域の付近を西の端として、東は白水川ダムをこえて長谷山・白森・黒伏山までの広い範囲になるのではないでしょうか。
*五聖山、五聖堂は、どのようなものなのか、あるのかないのか、分かりません。
《探訪の記録》
*2013年7月13日
東根の図書館で『高崎の歴史』(高崎の歴史刊行委員会 平1・1989)を見ました。
その「第十章 風俗・文化」の項目「野の石仏」に、「高崎地における神社と石仏など、その一覧は次の通りである。」として「番号/字名/名称」の表があり観音寺地区には108番まで記載されています。
表中に“古四王子五聖山・五聖堂”はありませんでしたが、「34番/大門/古志天王社」「38番/大門/五所山」があり、関山地区に「114番/上悪戸/八聖山」がありました。
大門地区に関しては、14番から43番までの30個所と108番の黒伏神社が記載されています。
表に記された以上のことは分からなかったのですが、観音寺地区の大門という場所に古志天王社というものがあるのは確かなようです。
限られた時間の中で他に関連資料が見付けられないまま、観音寺で大門を探してみる事にしました。
野川の板碑を確認したあとで観音寺地区に車を進め、大門公民館の辺りを探してみたのですが、古志天王社というのがどのようなものか分からないので、何に目を向ければよいか分からず、見付けることは出来ませんでした。
*2017年10月17日
東根市観音寺で大門地区を訪ねました。
大門地区に黒伏神社があるので、何か手掛かりがあるかも知れないので、この神社を見ないでおくことは避けたいと思い、足を伸ばしました。
黒伏神社の鎮座地は『平成の祭』に東根市大字観音寺字大門202-1とありますが、現在の住所表示では東根市観音寺202-1です。
黒伏神社境内には、いろいろの石碑・石塔・等があり、その中に「風神、太神宮、庚申塔、大日如来、鐘楼・鐘、五所山、古峯神社、常燈」と祭神不明の流造り状の小祠、石柱状の御札納(?)、石灯籠、石鳥居、社殿がありました。
『高崎の歴史』の表の「32番風神、33番太神宮、35番庚申塔、36番大日如来、37番鐘楼・鐘、38番五所山、39番古峯神社、40番常燈」が黒伏神社境内にあります。34番の古志天王社は分かりません。
34番を除いて32番から40番までが黒伏神社境内にあるのですから、34番もあると考えるのが自然ではないかと思いますので、祭神不明の小祠が古志天王社ではないかと思うのですが、確認は出来ません。
黒伏神社の鳥居に揚げられていた社額に縦に三文字刻まれていますが、三文字目の「社」以外は判読できません。
大門地区には、白山大権現が2個所、稲荷神社が2個所、不動尊堂、馬頭観世音が3個所、等があるようですが、黒伏神社の周辺も探してみたのですが、車に乗って廻ったためでしょうが、分かりませんでした。
古志天王社が、あるいは古四王子五聖山・五聖堂があったとしても、それが古四王神と関係があるとは限りませんが。
もう少し情報が得られないと、手掛かりがないようです。
見る事が出来る資料によって得られるものがあればよいのですが。
『高崎村誌』は山形県立図書館に行けば見られるでしょうが、探訪の優先順位もありますので、まだ見ていません。
思ったようには進みません。
左上: 黒伏神社 参道階段 右上: 鳥居の社額
左下: 境内東側の石碑類 右下: 庚申塔石碑(右)、小祠(中)、五所山石碑(左)
《探訪の整理》
北村山郡高崎村・五四王子五聖山という情報から、東根市観音寺の黒伏神社境内の古志天王社と思われる小祠に行き着きました。
『山形県神社誌』で「黒伏神社」を見ると、祭神は「伊弉諾尊、埴山比賣命」、由緒に「創立は延暦年中、坂上田村麿の勧請の由に言い伝える。旧号黒伏山大権現と称し御所神社を合祭。…」とあります。
同書で「黒伏山神社」を見ますと、祭神「大山祇之神」、由緒「創立は詳かでない。五所山修験道全盛時代、この山を掛越山と称し参詣者多く山麓に多くの宿坊があったという。…」、鎮座地は前出の『平成の祭』に同じです。
観音寺地区は、五所山の山岳信仰の登拝口のひとつで観音寺口とか東根面とかといわれていたようです。
黒伏山は観音寺口の修験の山のようです。
黒伏神社は、五所山と関係があり、御所神社とも関係がある神社でした。
『増補 大日本地名辞書 第七巻』(『大日本地名辞書』吉田東伍 明治39・1906、増補版-昭45、増補三版-昭50)の羽前国-北村山郡の「五所山」の
条に「又、五聖山につくり、観音寺山の東巓テンをいふ。〈略〉五聖とは、他州郡にて古四王越王といへると同く、古四王子を祭れるにより此名あり、郡内正厳村には、御所祠といふ。〈略〉」があります。
五所山と五聖山が同じであれば、藤原のあげる「古四王子五聖山」「五聖堂」は、御所山(五所山)のことであり五所堂のことかも知れません。
同書の北村山郡の「御所神社」の条に、「正厳に在りて、俗伝、帝王の子孫を説き、且、阿倍氏の祖といふ、即、越君阿倍臣等を祭れるや、徴見すべし、越の王子の訛なり。本郡の五所山、及び出羽国(出庭)の条下に合考すべし。〈略〉」とあり、「越の王子」が出ています。
また、同書の東田川郡の「五所王子神社」の条に、「清川村に在り、五所王子と称へられ、或は五聖、御書に作る。即、奥州、越後にて、越王、五社王子と号するに同じく、越の盛族安倍氏の祖、大彦命を祭る。旧説、御諸別命かといひ、御諸の解あれど、通ぜず。〈略〉」があります。
「御所神社」と「五所王子神社」〈御諸皇子神社〉への言及の中に「越の王子」「五社王子」が記されています。
古四王子・越の王子・五社王子が古四王・越王と同等に扱われているようです。
古四王子と古四王、越の王子と越王を同じこととする、あるいは別のものとしないことでよいのでしょうか。
五聖も御所も五所も五社もコシオウの訛とすることでよいのでしょうか。
これらについては、慎重でありたいと思います。
藤原相之助は、吉田東伍の見解を踏襲しているようですが、「五所山」の条には「古四王子を祭れるにより此名あり」とはありますが、五所山について古四王子を付けた形での記載はありません。
「古四王子五聖山」と言うと、古四王子古四王山と繰り返しではないでしょうか。
藤原はどのような資料・情報から「古四王子五聖山」を記載したのでしょうか。
「古四王子五聖山」という記述が何らかの文献にあったものであれば、五所山は古四王山であった可能性を考慮する必要性が増すでしょう。
*藤原相之助と及川大渓に共通する「観音山 五聖堂」については、まったく探すヒントも見出せません。
*古志天王社がコシオウと関係があるのかどうか、資料も見出せておらず、判断できません。
古志天王社が御所神社と関係があるのでしょうか、順徳天皇と関係があるのでしょうか。
また、“古志天王社”というものと“小姓天”というものとに関連があるのでしょうか。
*「探訪記録 村山 11」に尾花沢の御所神社に関する記事があります。
「探訪記録 庄内 18」に御諸皇子神社に関する記事があります。
「庄内 追加」の情報に、東田川郡藤島町大字無音の古四天王社を記載しました。
《 追記 2020-07 》
*『高崎村誌』(早坂昇・編 高崎村誌編集委員会 昭33・1958)の「十三、各区史」の「2,大門区史」中の「名所」の項目に「白山大権現」〈大江新田白山頂上〉に次いで「黒伏神社 昔はお観音様といって拝んだものだが今は村社黒伏神社と呼ぶ。これは、明治二年十一月神仏を分離すべき法令が出たので前仏観音を竜泉寺に移し祀つて黒伏神社と改称した。/ 明治三十五年の暴風で上野の熊野神社が倒壊したので熊野神社を合祭して五所山合祭殿となった。因に前仏観音は沖原〇〇〈名を伏す〉の寄附である。祭神伊弉冊命、例祭 毎年八月十七日十八日の両日 /〈略〉/従つて 黒伏山上の奥院は、羽前村山郡観音寺邑鎮守になつている。/〈一字下〉黒伏山太神の旧号は黒伏山大権現と称し、埴山比売命を祭神としている。〈略〉」とありました。
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