探訪準備記録 山形 38 : 村山 13
佐藤地名リスト位置番号 53 : 東村山郡中山町小塩(旧・豊田村小塩) 小塩コショウ
位置番号 54 : 東村山郡中山町土橋(旧・豊田村土橋) 小塩天神
位置番号 55 : 東村山郡中山町柳沢(旧・豊田村柳沢) 小塩山
位置番号 56 : 東村山郡中山町長崎(旧・長崎町長崎) 小塩代
〈桑原リスト:東村山郡中山町長崎・小塩代
同郡 同町 豊田・小塩
同郡 同町 柳沢・小塩山
同郡 同町 土橋・小塩天神
*探訪の準備
この地名情報も川崎浩良によるものです。
『美人反別帳』の「左沢盆地は石器時代、越族が地歩を定めた処と見え、越文化が処々にほの見える。左沢町三郷滝の沢に条件通りの腰王堂あり、宮宿町に小塩山あり、本郷村顔好に小塩下(腰王下)、同塩の平に腰王前、本郷と所部に腰王原、七軒村沢口に小姓戸、東村山郡中山町長崎に小塩代、豊田に小塩、柳沢に小塩山、土橋に小塩天神、山元村狸森に腰王山等あるが、此の小塩天神も、元は腰王信仰に後世天神が合流したものと見られる。」という記載です。
(「探訪記録 村山 4」に関連記事があります。)
*豊田村は、明治22年に東村山郡土橋ツチハシ村・岡村・柳沢村・金沢村・小塩村によって発足。
長崎町は、明治22年に東村山郡長崎村・達磨寺村・向新田村によって発足した最上村が明治30年に町制施行・改称により長崎町として発足。
昭和29年、豊田村と長崎町が合併して東村山郡中山町が成立。
桑原リストの「豊田・小塩」は豊田村小塩のことなのでしょうから、中山町の地名としては中山町小塩の小塩となると思います。
*『山形県地名録』の「長崎町の長崎」に小塩代があり、塩野もあります。
「豊田村の小塩」に小塩コシュウがあり、塩ノ原もあります。「土橋」には小塩天神があり、「柳沢」には小塩山があり塩ノ沢シノサがあります。
コシオウ関連の地名として情報にあげられていたものは、地名録にありました。
その他に塩のつく地名もありました。
川崎は、コシオウ神社ないしはコシオウ堂・宮に関する情報を示してはいません。
*『中山町の地名 その由来と語源』(中山町郷土研究会 昭63・1988)を見てみます。
この冊子では、中山町の現況、沿革の概要を記してから中山町を構成する大字(旧村)ごとに長崎・達磨寺・向新田・金沢・柳沢・土橋・岡・小塩の順にそれぞれの地名を解説しています。
記載方法は、長崎を例に取ると、先ず「長崎の小字名」として番号を付けて38箇所あげてそれぞれの謂れを記し、次に「長崎の行政地名、古地名、俗称地名」をあげて45箇所を記しそれぞれの謂れを述べています。
「長崎の小字名」と「長崎の行政地名、古地名、俗称地名」の地名に重複はありませんでした。
『山形県地名録』の「長崎町の長崎」には60の地名があり、その38地名は「長崎の小字名」と同じで20地名は「長崎の行政地名、古地名、俗称地名」と同じで2箇所は『山形県地名録』にだけあります。
「長崎の行政地名、古地名、俗称地名」のうちの25箇所は『山形県地名録』には記されていません。
ちなみに、有料ネット地図での住所検索のリストでは現在〈2019-07〉の中山町の長崎には番地表示以外に24箇所の地名表示がありその22箇所は「長崎の小字名」と同じですので、16箇所の小字名は住所表示からは消えたことになること思います。
『中山町の地名 その由来と語源』の「発刊にあたって」に「地名は我々の祖先が残した最大の文化遺産といわれます。生活上、何かの必要性から、何かの語源をもって名づけられたはずです。適正な解明をすればその語源は求められるのですが、命名の事由、時代等幾多の要件が複雑にからみあって容易ではありません。我町においても、圃場整理事業がほぼ最終段階に至り、生活の便宜上又いくつかの地名が消えようとしています。かつて旧耕地整理にさいして水田地帯の地名は約四分の一に集約されました。消えた地名の中にも地域の歴史を伝える重要なものが数知れずあったはずです。このたび、本会の研究の一部として「地名」をテーマとして数年の検討を加え報告誌としてまとめたしだいです。調査不足の点もあると思いますので何卒御教示賜りたく存ずる次第です。」とありました。
佐藤リストの順に「小塩地区の小塩」について、『中山町の地名』を見ます。
*地区の小塩について、「村山盆地西部の最上川沿岸に位置する。地内の塩ノ原を始め近隣に塩の付く地名が多く、地名は岩塩か塩類泉などの存在によるものと思われるが未詳、…」とあります。
「小塩の小字」の項目に17字名があり、塩江・塩原があります。また、天神もあります。
「塩江」について「塩気のある川のほとりの土地。小塩の集落のほぼ全体がこの字に入る。山手の塩原から湧出する塩水から出た地名と思われる。」と記されています。
「塩原」は「塩気のある水の出る原野、耕地。三方を山にかこまれた東向の土地で、昔から鉱水を湧出していた。ボーリングをしたら39℃の温水を得たが、量が少なく未利用である。」とあります。
「天神」は「天神様のあったところ。小塩入口のバイパスの両側の三角形の区域。半分は『天神前』と云われて長崎分であった。岡『経由』『八幡』に統合された。」とあります。
「小塩の行政地名、古地名、俗称地名」に14地名があり「塩野」があります。また、天神前があります。
「塩野」は「塩っぱい水のでるところ。町の斎場の北から北東にかけたあたりの『中江』の北区域で長崎分の西端だったところ。」とあり、「天神前」は「天神様のあるところの手前の地域。字『天神』は、元、小塩分『天神前』と長崎分『天神前』、土橋分『小塩天神』、岡分『天神』とはげしく入り組んだ土地だった。圃場整理後、岡『経由』になった。」とあります。
小塩地区に「小塩」の地名が記載されていませんでした。
『山形県地名録』の「豊田村の小塩」地区には26地名が記され、その中に小塩コシュウ・塩ノ原・天神がありますが塩江はありません。
現在の中山町小塩には字地名はなく番地のみになっているようです。
*地区の「土橋」について、「地名は昭和初期まであった、土橋という橋の名に由来するという。」とあります。
「土橋の小字名」は21字名があり、塩関連地名と小塩天神は記されていません。
「土橋の行政地名、古地名、俗称地名」に22地名あり「小塩天神」があり、謂れは「小塩の項参照」となっています。
小塩地区の字「天神」は地区が入り組んでいて、その小塩の天神の土橋分の場所ということのようです。
*地区「柳沢」について、「地名は谷木沢という沢名の地形語源に由来すると思われるが不詳。地内には条里制の遺構を示すと思われる、三条の目とか一の坪とかいう地名が残っている。」があります。
「柳沢の小字名」は27字名で、その中に「塩の沢」があり「岩陰に付着して塩気の出る沢。〈略〉」とあります。
「柳沢の行政地名、古地名、俗称地名」に34地名が記され「小塩山コショウヤマ」があり「『腰王山』のことか。村の北の入口を守護する神様のいる山。」とあります。
*地区「長崎」には、「山形盆地のほぼ中央部、最上川の南岸に位置する。中山氏が進出した当時、最上川と沼沢にはさまれ、東西に細長い地形のところに小集落があったらしく、長い崎ということにちなむという。」とあります。
「長崎の小字名」に塩関係の地名はなく、「長崎の行政地名、古地名、俗称地名」に「小塩代」がありますし「金沢代」「土橋代」「岡代」「平塩代」「柳沢代」があります。また、「塩野」「天神前」があります。
「小塩代」に「小塩村にあった長崎村の飛地」とあります。「◯◯代」は◯◯村にあった長崎村の飛地と記されています。「平塩代」は平塩村〈現寒河江市〉にあった長崎村の飛地となります。
小塩代のコシオは大字名の小塩に由来するものでした。
「塩野」と「天神前」には「小塩の項参照」とあります。
「小塩天神」「小塩代」は地域「小塩」に由来する地名でしたので、問題は「小塩」とは何による地名なのかということと「小塩山」は腰王山かどうかということになると思います。
大字「小塩」についての「地内の塩ノ原を始め近隣に塩の付く地名が多く、地名は岩塩か塩類泉などの存在によるものと思われるが未詳、…」のように「塩」にまつわる地名なのだと思いますが、なぜ「小」「塩」なのか、分かりません。
「小塩山」も周囲に塩地名の多いことからすれば、塩の地名とするほうが無理がないのではないでしょうか。
腰王神の祠が在るとか、かつて在ったとか、伝承があるとかということではなさそうです。
*『山形県の地名伝説』(安彦好重 歴史図書社 昭54・1979)に「塩地名」の項目があり「山形県内にも塩のつく地名は多いが、これらは文字どおり塩に関係あるちめいであろうか。また他に意味があるのであろうか。」から記述を始めています。
そして「勿論県内の塩地名の中には塩に全く関係のないものも多いと思う。どれが塩の地名で、どれが当て字のシオであるか、その識別が困難である。」と記し、具体的に地名について論及して〈県内の塩地名の中でも最も多い地名は塩沢と塩野とのこと〉「塩沢も塩野も文字の上からは『塩の出る沢』、『塩の出る野』という意味にとれるが、よく考えてみると、鏡味氏説の(2)(3)〈(2)川の曲流部、(3)撓んだ土地(北信にみられる)〉のように考えられる。つまり、塩沢は『曲って流れる沢』、塩野は『撓んだ野』とみられる。塩沢の多くは曲りくねっているし、塩野は台地状や二川に挟まれていたりして、野の両端は低くなり、撓んだ地形をなしている。」と記します。
さらに塩波・塩・塩台・塩川・塩ノ淵・塩坪について記し、続いて「平塩(寒河江市)、塩平(川西町玉庭、朝日町送橋、大江町)も地形説の『崖の下の川の曲流部』、『たわんだ崖』の意であろうか。両地ともそうした地形の所である。もっとも平塩は『崖の塩の出る所』塩平は『塩の出る崖』ということもできる。小塩(中山町)は最上川が蛇行する川岸にあり、『川の曲流部』に当たる所で、その上流に平塩があり、塩地名が続いている。中山町には塩地名が多く、同じ小塩に塩ノ原があり平野部に塩野、山手の方には小塩山、小塩代がある。ここは伝説では昔塩辛い水が流れていたといわれている。」と記しています。
さらにいくつか例をあげてから「こうしてみると、本県内の塩地名の中で、食塩の塩に関するものは案外少なく、地形語が大部分であるように思う。」と記し、項目の文末に「塩が出たという伝説のある所は、村山市西郷塩崎、米沢市塩野、山形市本沢出汐塩、中山町小塩、平田町塩水沢などがある。」とあります。
平塩の熊野神社を訪ねたことがあるくらいで土地勘が無いので、「崖の下の川の曲流部」「たわんだ崖」と言われても、どこにそのような地形があるのかピントきません。
小塩は「川の曲流部」に面している所があるようですが、「小」は曲り方が少ないというような意味なのでしょうか。
小塩代は大字名の小塩を指すということは既述の通りかと思います。
小塩山は大字小塩にはないので、「川の曲流部」に面した土地にある山ということにはならないので、小さくたわんだ山ということでしょうか。山がたわむというのはヘコミのようなものがある山でしょうか。
大字柳沢の小塩山の場所は分からないのですが、朝日町宮宿の小塩山観音堂あたりの山の様子について「村山12・朝日町」の記事に記しましたのでご覧いただければと存じます。
*『地名を歩く(副題:出羽の国・寒河江の歴史)』(宇井 啓 平4・1992)の「塩水というところ」の項目に「柴橋道と市立病院の南を流れる中川に挟まれた一帯が『塩水シオミズ』である。ブクブク井戸と称する何か所かの塩水の涌く泉があって、地名の由来となった。市内の平塩、中山町の小塩、大江町の塩の平、朝日町の小塩山、河北町の塩の渕など内陸にも塩の出る所があって、古くから製塩の場所だったらしい。」があります。
この本の項目「平塩というところ」については、「村山2・寒河江市谷沢ー腰王神社」の記事で若干取上げていますので、ご参照いただければと存じます。
*『中山町史 上巻』(中山町 平3・1991)の「第四章・第七節-中山氏領の集落の形成」の「小塩」の項に「昔から『コシュウ』と呼ばれ、『平塩』からわかれたといわれている。『塩ノ原』という所があり、地名は岩塩または塩類泉などの存在にちなむと思われることや古志(四)族の移民、小塩(越王)神社の信仰にかかわる関係など、正確に把握することはできない。」とあります。
「平塩村」の項には「平塩村は、小塩村の親村であったとの伝承があるが、明確に証拠だてる資料はない。また平塩の地名の由来についてのはっきりした伝承もない。大江町史資料第十二号『宗古録』近隣諸村雑記中『此地塩気有リ故ニ名ヅク』の記載があるが、これだけでは心もとない気がする。」があります。
「古志(四)族の移民、小塩(越王)神社の信仰」と記すあたりに、入ってきた情報を処理できていないことが見て取れますが、「正確に把握することはできない。」と正直でもあります。
*いろいろ疑問のままです。
*神社情報がありませんので、訪問を予定していません。
探訪の準備作業の記録になりますので、探訪準備記録といたしました。