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追加情報 山形・村山 : 村山 追加


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《村山地域のそのほかのコシオウ情報》
(1)袖崎村土生田の北向き薬師
 川崎浩良『美人反別帳』の「村山盆地の越王神」の文末に「袖崎村土生田に古志王の変遷した北向き薬師がある。古志王神を後世薬師如来とした事に就いては、他に東田川郡谷定にもあるが、これは後章に譲る。」とあります。

*これについては、記事「庄内 20 鶴岡市谷定 古四王薬師」をご参照下さい。


(2)西村山郡河北町谷地の夜泣き地蔵
 この情報は、天童市の郷土史家K氏から教えていただきました。
 webサイト「河北町観光ナビ」に「夜泣き地蔵」の記事がありました。
 それによると「土慶小路の中ほどに『夜泣き地蔵』という北向きのお堂がある。小児の夜泣きに効くというので、この名がある。日本では北向きのお堂が珍しいので、祭神は古志王神と考えられている。古志王神は、伊勢系や出雲系の神と全く別系の神で、古代の日本に帰化した越人の神である。越人は大陸から渡来して、北陸地方に住みつき、のちに越前・越中・越後の三つに分かれた。この夜泣き地蔵の本尊は、彩色された石の地蔵様で、口もとに紅をさした柔和な顔立ちである。その外、こぶし大の古い木彫二体があり、由来はきわめて古いというが、口伝のみで記録はない。古来古志王神は『北向き薬師』『聞き耳地蔵』などと呼ばれ、耳疾や厄落としの御利益があると信じられ、孔のあいた麩や小石を奉納している。今もお堂の正面の羽目板に50個にのぼる孔あき石が下げてある。〈略〉」とあります。

*「祭神は古志王神と考えられている。」とありますが、はっきりしていることは、小児の夜泣きに効くといわれていて夜泣き地蔵と呼ばれていること、お堂が北向きで孔あき石が下げてある、ことではないでしょうか。
 コシオウ神を祀る社殿は北向きであるという定説的言説があり、耳の病に穴あき石を奉納する信仰形態が見受けられることがあって、夜泣き地蔵が北向きのお堂で孔あき石があるからといってコシオウ神と考えられると言うのは言い過ぎではないでしょうか。
 「古来古志王神は『北向き薬師』『聞き耳地蔵』などと呼ばれ」とありますが、そのような説を唱える向きもありますが、個々の事例を検証すべきではないかと思います。
 北向き薬師はすなわちコシオウというわけではないし、聞き耳地蔵はコシオウであると言いきれるわけではないと思います。
 夜泣き地蔵はコシオウと関連があるという資料はあるのでしょうか。

 耳の聞こえの祈願に関して穴あき石を用いる信仰形態は、コシオウ神と結びついていない信仰形態にも見受けられますので、耳の病と穴あき石はコシオウ信仰とイコールではないし、コシオウ信仰に特有のものでもありません。
 自然石を耳の病の神様のキンカ様として祀り、穴あき石を納める形をとっている例は、新潟県にありますし、コシオウ神と結びついてはいないようです。

 奥会津には、道祖神を「つんぼ神」と呼び穴あけ石を奉納する例があるとのことです。
 狭山市では、お地蔵様に願をかけるときに穴あき石をつるす例があるそうです。
 浜松市のほうでは、願かけに穴あき石を供える例があるようです。



(3)最上郡金山町の薬師山のふもとの小社
 webサイト「新・県民ケンちゃん〜青沢越え2」の記事に,「薬師山のふもとに小さな社があるのだが、これが実は古四王神社なのである。さらに周辺の林は神社にちなんで『小姓林』と呼ばれていた。『小姓林』の名前は正徳2年の土地台帳にすでに現れていたというので、この神社もその頃にあったことは確からしい。」とあります。

*山形県の最上地方には所在地情報がありませんでしたので、最上地方の項目を立てていませんので、この情報をここに記しておきます。


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