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所在地情報  秋田  3  本荘市鮎瀬


◎所在地情報
 リスト外 : 大山新リスト・桑原リスト・佐藤リスト・他 目を通すことができた文献に記載なし

*2005年9月10日に 『本荘由利 ふるさと観光ガイド』のホームページで「本荘市」を 閲覧しました。
 〈 http://shoko.skr-akita.or.jp/honjou/kanko/honjo.html 〉

 この「神社」の項目中に「古四王神社 本荘市鮎瀬 創建は不明であるが、文政10年(1827)の再建で古四王大権現と称している。」がありました。
 日住白山神社の記載はありません。

*ホームページ『秋田県:歴史・観光・見所』ー「由利本荘市・歴史・観光」の観光・見所案内のサムネイルで「白山神社 日住白山神社」をクリックすると、その記事中に「明治に入り神仏分離令の際、白山神社としますが、同42年に日住神社と合祀した為、日住白山神社と改称しています(古四王神社、宮比神社、大日霊神社も合祀)。日住神社は寛永元年(1624)より本荘藩一ノ宮だったので現在の鳥居の前には『本荘藩一ノ宮』を示す石柱が建てられています。その後、昭和29年に日住神社は再び日住山山頂付近に再建され分祀しているようですが瀬織津姫神はそのまま祭られています。」とありました。
 2013/09/10 〈https://www.kensoudan.com/firu-minami-e/honnjyou/hisuhaku.html 〉
 2021/06/24閲覧の同記事では、「明治に入り神仏分離令の際、白山神社としますが、同42年に日住山に鎮座していた日住神社と合祀した為、日住白山神社と社号を改称しています(古四王神社、宮比神社、大日霊神社も合祀)。」となっていました。

*『秋田県の地名』の「本荘市」−「鮎瀬村」の記述に「菊理比売命を祀る白山神社は旧村社。大国主命を祀る古四王神社は創建は不明だが文政10年(1827)の再建で、古四王大権現と称し、明治8年に社殿が再建された(石沢郷土誌)。」がありました。 
 古四王神社の祭神は大国主命となっています。

○『平成の祭』
・ 日住白山神社(ひずみはくさんじんじゃ)
 鎮座地:本荘市鮎瀬字石橋山124
 祭神:《主》天照皇大神、伊邪那岐神、伊邪那美神、菊理姫神、瀬織津姫命、大彦命、天宇津女命

・ 日住神社  鎮座地:本荘市滝ノ沢字日住山1
 祭神:《主》大日霊女神

○『秋田県神社庁HP』 
・ 日住白山神社(ひすみはくさんじんじゃ)
 鎮座地:由利本荘市鮎瀬字石橋山124
 御祭神は『平成の祭』に同じ
 由緒に、「創立仁明天皇の御宇、嘉祥3〈803〉庚申年〈ママ〉であって、僧円仁巡錫の時祠を樋脇白山の地に建て、伊邪那岐神、伊邪那美神、菊理姫神を奉祀し、神像一体を石に刻んで奉安したと言う。 /  即ち白山妙理大権現と公称す。 /  後、瀬織津姫命を合祭して、〈略〉」
 「享保16亥年7月〈1731〉石橋山に遷座す。 /  文政10丁亥年〈1827〉社殿再建。 / 文久元酉年〈1861)社殿神楽殿焼失。 / 慶応2丙寅年〈1866〉社殿神楽殿再建。 / 明治2己巳年〈1869〉白山神社と改称す。」
 「明治41年〈1908〉より神社合祀により、村内各社を合祀し明治42年日住神社も合祀して明治44年11月31日〈ママ〉秋田県知事の許可を得て、日住白山神社と改称す。」 〈 / は改行〉

・ 日住神社  鎮座地:由利本荘市滝ノ沢字日住山1
 御祭神:大日霊女神
 由緒に「社記によれば文武天皇4庚申年大和国より藤原永之丞が諸国を巡錫したはてに、日住山を開山し祠を建立し、神像一体を奉安したことに始まる。 /  後に、国司、武将の崇敬深く、寛永元年本荘藩主六郷家の一の宮として社殿を建立し、その後神楽殿を建立し寄進している。/  然し明治43年野火のため焼失し、現在の社殿は昭和29年に再建したものである。 /  昭和56年山頂に奥の宮を建立。」

 『平成の祭』の祭神には、大国主命は見えず、大彦命が見えますので、合祀された古四王神社の祭神は大彦命としているのでしょう。

*2020/05/20に、『風淋堂ブログ 千時千一夜』の「40_2」に「日住白山神社」の記事があることを知りました。
 〈 http://furindo.webcrow.jp/blog/blog_40.html#Number_2 〉

 そこに、日住白山神社の明治時代末の由緒書(控え)に合祀記録が残されているとして、「明治四十一年五月五日 村社宮比神社(由利郡石沢村滝ノ沢字滝ノ沢)を合祀 / 同 無格社古四王神社(同郡同村鮎瀬字沢田)を合祀 / 明治四十三年一月二日 無格社日住神社(同郡同村滝ノ沢字日住山)を合祀 /  明治四十四年一月十四日 無格社大日霊神社(同郡同村上野字上野)を合祀」が記されていました。
 古四王神社がかつてあったこと、そのおよその場所が分かりました。

*昭和29年に本荘町が子吉村・小友村・石沢村・南内越村・北内越村・松ヶ崎村を合せて、同日市制施行して本荘市が発足。
 石沢村は、明治22年に館村・烏川村・雪車町村・鮎瀬村・宮沢村・滝ノ沢村・山内村・大簗村・鳥田目村・柳生村・湯沢村・上野村が合併して発足。
 本荘町は、明治22年に由利郡本荘28町(旧本荘城下町)・出戸町村・石脇村・古雪町が合併して発足。

                                        《 ここまで 2021−06 記 》


《 探訪の準備 》
*『羽後国由利郡村誌 4』(みしま書房 昭51・1976)に収められた「羽後国由利郡村誌 巻之九」に「鮎瀬村」があり、見てみますと「社」には「白山社 村社 社地東西廿四間南北三十一間面積七百四十四坪 本村東方ニアリ 菊理比売ノ命ヲ祭ル 祭日旧暦三月十七日 社地中松ノ老樹アリ」とあるだけです。

*『秋田県の地名』に引用もされていた『石沢郷土誌(江戸時代以前)』(本荘市石沢郷土誌編纂委員会 昭47・1972)を見ます。
 同書「第二編 文化遺産」の「(一)神社寺院(社寺明細帳より抄)」の記載の中に「白山神社 鮎瀬字石橋山 祭神 伊邪那美命 又の御名は菜理比女命」があり「同村字樋脇より享保十六年(1731)現地に遷座す。この時より鮎瀬村の産土神にして白山妙理大権現と称す。文政十年(1827)社殿再建。慶応元年(1865)焼失、同二年再建す。明治六年鮎瀬村外壱ケ村の村社となる。」がありました。
 『秋田県神社庁HP』の記述に「文久元酉年社殿神楽殿焼失」とあることと『郷土誌』の「慶応元年焼失」の記述が気になります。

 同書の「古四王神社 鮎瀬字沢田 祭神 大国主命 少毘古那大神 健御雷大神 布都主大神」には「創立年月不詳、信徒者による再建は文政十年(1827)祭神は大国主大神を始め四柱を勧請して古四王大権現と称す 明治八年社殿を再建す。」とありました。
 『秋田県の地名』では「大国主命を祀る古四王神社」とありましたが、オオクヌヌシの他にスクナビコナそしてタケミカヅチとフツヌシの四神ということで古四王なのでしょうか。

 また「日住神社 滝の沢村字日住山 祭神 大日□命」は「文武天皇四年(700)大和国葛城郡芳原村の人藤原仁太弟栄之亟この地に来り、日住山を開さくし、丘の沢に入滅し藤の大明神となる。第二行者藤の伊勢天文十一年(1542)日住山に石碑を建立し信仰す。元和元年(1615)楯岡満茂社殿を建立し御参詣宮とし、寛永元年(1624)六郷政乗代々参詣の宮と改め宮殿の営繕をなす。元禄九年(1696)六郷政晴より三ツ亀甲御紋章免される。」とありました。
 〈 大日□命 : 雨の下に口口口その下に女 以下の□も同じ 〉
 同書には、日住白山神社に合祀された「宮比神社 滝の沢 祭神 天之宇受女命」の記載もあります。
 また、ホームページ『秋田県:歴史・観光・見所』に「大日霊神社も合祀」とあり、『風淋堂ブログ 千時千一夜』の「40_2」に「無格社大日霊神社(同郡同村上野字上野)を合祀」とある神社が、「大日□神社 上野鎮座 祭神 大日□命」のことであればこちらも記載されています。
 『秋田県神社庁HP』にも宮比〈ミヤビ〉神社も大日靈〈オオヒルメ〉神社も記されており、記述内容をみますと『石沢郷土誌』に記載の神社と『秋田県神社庁HP』記載の神社は同じ神社のようです。
 宮比神社と大日□(靈)神社の2社も分祀したのでしょうか。
 『秋田県神社庁HP』に記載のない古四王神社は、分祀されることはなかったのでしょう。

 日住白山神社の祭神の大彦命は、古四王神社の合祀によるものとしか考えようがないと思いますが、そうすると古四王神社の『郷土誌』の四祭神は、日住白山神社の祭神として反映されなかったことになります。
 確かに、四祭神はいつからどうして古四王神社の祭神となったのか、その経緯が知りたいと思わせるものです。
 そのため、四祭神は誤った伝承によるものとされるか何かで、日住白山神社に合祀される際に古四王神社の祭神としてふさわしくないとされたのでしょうか。
 祭神が整合性などによって都合よく整理されているように思えます。
 あるいは、古四王神社の四祭神は伝承過程で変化が生じたのかもしれませんが、四祭神であることまでを消すことになるのはいかがなものかと思いますし、伝承は伝承のままにあらわすべきではないかと思います。

                                      《 2021年12月 記 》


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