所在地情報 秋田 16 能代市柏子所
◎所在地情報
大山リスト : 山本郡榊村大字二井田貸子所
桑原リスト : 山本郡榊村二井田貸子所 古四王神社
佐藤リスト : 能代市柏子所 古四王神社
(参考)丸山は山本郡には榊村と檜山村貸子所と記している。
*『秋田県の地名』に二井田村が記されていました。
二井田村は、明治9に大内田村・機織村と合併して三合村になり、明治10年に榊村に改称とありました。
明治22年に山本郡榊村が単独村制施行して榊村が発足。
昭和15年に、能代港町・榊村・東雲村が合併して能代市が発足。
現在の住所表示には、能代市に大内田、柏子所、仁井田白山、機織轌ノ目がありました。
*『能代市史資料 第32号 山本郡神社明細帳』(能代市史編さん室 平16・2004)の「明治四十四年 山本郡神社明細帳」に、「榊村柏子所 無格社 八幡神社」がありました。
それによると八幡神社は「山本郡榊村字柏子所十三番地鎮座」で「一、祭神 誉田分之命、天照皇大神、大彦命 / 一、由緒 不詳。明治四十一年九月十五日、字古屋布無格社神明社、字同無格社古四王神社ヲ合併ス。/ 一、社殿 本殿、拝殿兼用 / 一、境内 二十七坪 / 一、崇敬者 四十一戸(三十戸が二重線で消してある)」とありました。
古四王神社は字柏子所ではなく元は字古屋布にあったようです。
この資料の享保八年と明治四年の山本郡神社明細帳には、合祀前の古四王神社の記載はありません。
*『平成の祭』に、能代市字柏子所112に鎮座する八幡神社があり「祭神《主》誉田別大神」とありました。
『秋田県神社庁HP』では、能代市字柏子所112の八幡神社の御祭神は誉田別神で、由緒のなかに「桓武天皇之御宇縁暦16丁丑年初秋東夷征伐の為、将軍坂上田村麻呂公此の地に下り、柏御殿(今の柏子所八幡神社の境内)に陣所を構え、夷賊残らず討伐し大願成就の為陣所の麓に当社八幡神社を建立あらせられた。」「慶長6年秋田城之介実季公より秋元庄之助の先祖八郎右衛門に八幡宮普譜料として毎年米6石づつ寄付あり、墨付書は今尚重物として保存されている。」がありました。
東夷征伐だの夷賊残らず討伐だの、引用ですのでそのまま記しました。
現在の地図の柏子所地区のすぐ南隣に古屋布地区が位置していました。
*古四王社の情報が得られない中、ネット検索を「柏子所 古四王」で試してみたところ、「北羽新報」の過去の記事が紹介されているのを見つけました。
北羽新報の2016年7月26日の紙面からの幾つかの記事のタイトルと概要が記されたなかに「・柏子所の鎮守八幡神社で遷座祭」の記事がありましたので、引用させていただきます。
記事内容は「能代市柏子所の鎮守八幡神社で24日、新築した末社に、近くにある古四王(こしおう)神社の御霊代(みたましろ)を移す「遷座祭」が行われた。神主もめったに執り行うことのない重要神事で、氏子らの手によってご神体が無事運び出された。」とあり、「ご神体を移す前の古四王神社の社(やしろ)」と説明のある写真が載せられていました。
「明治四十四年 山本郡神社明細帳」に「明治四十一年九月十五日、字古屋布無格社神明社、字同無格社古四王神社ヲ合併ス」とありましたので、古屋布にあった古四王神社は既に無いと思っていました。
合併先の八幡神社を訪ねても、古四王神社に関してはなにも分からないだろうと思っていました。
この記事によって、近くに古四王神社の社殿が存在していたこと、新築の末社に遷座の運びになったということが、はじめて分かりました。
新たな疑問は、「近くにある古四王神社」は何処にあったのでしょう。古屋布地内の元の場所のままだったのでしょうか、八幡神社の傍に移されていたのでしょうか。
遷座の理由はなんだったのでしょう。前の社殿はどのような状態であったのでしょう、旧社殿は遷座後はどうなったのでしょう。
ご神体については何か伝わっていることはあるのでしょうか。
八幡神社を訪ねることができる日が待ち遠しくなります。
《 ここまで 2021−09 記 》