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所在地情報 秋田  18  能代市鶴形


◎所在地情報
 大山新リスト : 山本郡鶴形村寺内杉清水
 桑原リスト : 山本郡鶴形村寺内杉清水  古四王神社
 佐藤リスト  :能代市鶴形  古四王神社
 (参考)及川 : 山本郡寺内村杉清水

*明治22年に鶴形村が単独村制施行。
 昭和30年、檜山町・浅内村・鶴形村・定盤村が能代市に編入。

*2020年7月24日『秋田県の地名』の「山本郡・能代市」の項目で「鶴形村」を見ると、鶴形村の支郷に「寺内テラウチ村もあった」ようです。
 また、鶴形村は「釣形村・釣潟村とも書く。」とのことです。

*『能代市史資料 第32号 山本郡神社明細帳』の「享保八年 山本郡神社明細帳」の「鶴形村・大應院」の項目の最初に「寺内村 / 一、観音堂〈略〉」があり、「(張紙)『秋田県山本郡鶴形村鶴形字山神社前七拾壱番 / 村社山神社 / 一、上地森林下戻ニ係ル 証拠』も記されています。
 また、「鶴形村・大應院」の項目の二番目に「同茂谷 / 一、薬師堂〈略〉」があり、「(張紙)『秋田県山本郡鶴形村鶴形字大台野六番 / 雑社磯前神社 / 一、上地森林下戻申請ニ係 証拠』も記されています。
 同書の「明治四年 山本郡神社明細帳」で山本郡鶴形村の神社が12項目に分けて記されています。12項目のなかに相殿や末社も記されていますので神社数は12以上になります。
 その中に「山神社 / 祭神 大山祇神、中古観音仏と称す、古伝に基き今其称を廃す。 / 草創 不詳、康永年間秋田城介再建  / 〈略〉 /末社 唐松神社 鹿嶋神社〈略〉 / 社中職名 神主小笠原清、古来修験清水寺、今復飾、世代詳ならす / 他社兼勤 〈略〉」、「磯前神社 /〈略〉」が記されていました。
 寺内村の観音堂は、明治以降山神社にあらためられたようです。

 同書の「明治四十四年 山本郡神社明細帳」には「鶴形村鶴形」の「村社 釣潟神社」があり、「山本郡鶴形村字鶴形二百二十六番地鎮座 / 村社 釣潟神社 / 一、祭神 加玖土神、大山祇神、天照大神、伊邪那岐命、大名持命、少名彦命 / 一、由緒 不詳ナレトモ、明治四十三年五月十七日字鶴形無格社愛宕神社、字同同神明社、字山崎同神明社、字同同熊野神社ヲ合併シタル字山神社前村社山神社及茂谷無格社磯前神社、字轟無格社神明社ヲ同年九月十二日合併ス。大正二年一月十四日字田中谷地ヨリ移転、元愛宕神社ト称セシヲ、大正元年十月二日釣潟神社ト改称ス。/ 〈略〉 / 一、境内神社 唐松神社 〈略〉」が記されていました。
 寺内の観音堂あらため山神社は合併を重ねて釣潟神社につながっていったようです。
 「大正二年一月十四日字田中谷地ヨリ移転、元愛宕神社ト称セシヲ」がよく分かりません。
 複数社の合祀後の神社名は愛宕神社とされ、その鎮座地は字田中谷地だったということなのでしょうか。
 現在の地図では、鶴形地域の南の地区のその南方に田中谷地地域が広がっています。

*『平成の祭』では、能代市鶴形には釣潟神社があるのみです。
 『秋田県神社庁HP』を見ます。
 釣潟神社 ツリカタジンジャ
 鎮座地: 能代市鶴形226
 境内神社:秋葉神社 相染社
 由緒:「〈略〉明治時代以前は『円通山宏大寺』と呼ばれる修験道場であり、桧山・霧山城を拠点に勢力を張った安東氏、特に6代愛季(ちかすえ)公の厚い庇護を受けていた。 /
 この時の様子をのちに、菅江真澄が「かすむ月星」(1806)のなかでこう記している。 /
 『野原に出て谷におり、たどっていくと観世音の堂がある。円通山の額は月舟和尚が書いたものである。宏大寺という額がすすけていてだれの書いたものかわからない。城之介実季がまだ幼少のとき重病にかかられたのを、父愛季が日ごろ念じている観世音に深く願をたてたところ、病も軽くなり命をとりとめたという。住んでいた矢堀の館から、この堂に三十三石の稲を寄進なさった。それでいまも三十三年を経るごとに御開帳をして拝し・・・云々』とある。 /
 明治5年、神仏分離令に伴い村社に列し、山神社とする。 /
 同43年、近くの4社を合祀して釣潟神社と改称し、大正2年、現在地に移転する。」とあります。

*『秋田叢書 別集 第3 (菅江真澄集 第3)』所収の「霞むつきほし」によると、「〈略〉 箭堀の館よりこゝにまふて、あらたに観音のみかたしろを作り、此堂に三拾三石の稲を寄せたまひき。〈略〉」とあり、愛季公が新たに観音像を作ったことが記されています。
 また、「かの観音につかへまつる清水寺のうはそこかをこなひの、鈴の音ほのかにさそふ風寒く、鶴形のうまやに出て〈略〉」とあり、「明治四年 山本郡神社明細帳」の「古来修験清水寺」とつながるようです。
 「霞むつきほし」にある絵の中に関連するようなものを見出せませんでした。

*鶴形に、杉清水も古四王も見出せません。
 菅江真澄が「雪出羽道 平鹿郡」の「植田村」の「古四王宮」の記事に「山本郡寺内杉清水の古四王宮」があると記し、「高清水の古四王、山本郡杉清水の古四王、此柳清水の古四王の古みやどころに、しみづあるも似たり」と記した古四王宮は、はたしてここ鶴形にあるのでしょうか。
 桧山の古四王堂に杉清水とありましたが、どうなのでしょうか。

 今のところ情報がありません。

                                 《 ここまで 2021−07 記 》

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