所在地情報 秋田 14 太田町中里
◎所在地情報
大山新リスト : 仙北郡横澤村中里
桑原リスト : 仙北郡横沢村中里
佐藤リスト : 仙北郡太田町中里・新屋敷 古四王神社
(参考)川崎 : 仙北郡横沢村 補記あり
丸山 : 仙北郡横澤村中里〈秋田12を参照下さい〉
及川 : 仙北郡横沢村中里
川崎の補記は「太田村横沢中里にあり / 祭神 甕速日命 饒速日命 武甕槌命 経津主命 少彦名命 / 神体 木彫神像三体(内立像高さ七寸 坐像二体何れも高さ五寸) 社殿北向き」とあります。
進藤重記の「出羽国風土略記」にある、甕速日、□速日、武甕槌命、経津主、の四柱とは、□速日と饒速日命が異なっています。
〈 □はヒ。ヒノハヤヒ 「秋田 1 象潟」の記事を参照下さい〉
*明治22年、仙北郡横沢村・中里村・駒場村・三本扇村・国見村が合併して村制施行し横沢村が発足。
昭和30年に横沢村と長信田村が合併して太田村が発足し、昭和44年に町制施行し太田町が発足。
平成17年に大曲市と神岡町・西仙北町・中仙町・協和町・南外村・仙北町・太田町が合併して大仙市が発足となりました。
○『平成の祭』
古四王神社
鎮座地:仙北郡太田町中里字新屋敷43
祭神:《主》少名彦名命、経津主命、武甕槌命
○『秋田県神社庁HP』
古四王神社
鎮座地:大仙市太田町中里字新屋敷43
御祭神:少名彦名命、経津主命、武甕槌命
由緒:「寛政年間〈1789〜1801〉に一宇建立。/ 高さ6尺の石の鳥居を一基建て信仰せりと刻んだ石が今に残っている。/ 明治6年7月8日に村社に列せられる。 / 明治43年11月1日同村無格社薬師神社を合併す。」
*『秋田叢書第10巻』所収の菅江真澄「月出羽道仙北郡(三)」の「廿一巻 横澤邑」を見てみます。
先ず本郷の横澤邑の記述があり、寄郷十二箇村の最初に中里邑の記述があります。
中里邑の位置関係と枝郷を記し、水田・田圃の字地、清水を記述したあとに、「○古四王権現社 祭日八月八日、別当横堀村修験宗清王院。神殿(二尺/三尺)社地(八間/十間)南北(三間/五間)也。此神社は寿永二年癸卯〈1183〉四月に創造といへれど、さだかなる証もなしといへり。また足利左馬頭源義氏五代の孫某、前後廿五年合戦のころ、野代山の陣所にて大木を伐りて薪とせしとき三躯の仏像出たり。一体をば今の寺裡(古名率浦)の古四王ノ宮に収め奉り、今一体は小貫高畠ノ古四王宮に是を収め、残る一躯をば此地に斎奉りて、五穀成就村民安全祈りのため社に収め奉りし也、今の古四王宮是也といへり。はしめをはりさだかにもあらねど、古老の記憶のまにまに、此御神の由来をここに記ルしぬ。」の記述があります。
続いて「○薬師如来ノ社 祭日四月八日、斎主忠右衛門。此社地五間四面、神殿二尺四面也。/ ○白神(世におしら神またおしらさまと申ス)社 〈略〉」とあり、最後に「○惣家員卅五戸 ○同人数百六拾二人 ○同馬数廿八匹。」です。
白神社について縷々説明され絵図二枚もあります。
寺内を寺裡と表記しています。
寺内と小貫高畠と当地の三社の古四王社の関連をうかがわせる記述がありますが、不明です。
〈 (カッコ)は割書、/ は改行 〉
古四王権現の別当は「横堀村修験宗清王院」とありますが、横澤邑の寄郷に横堀邑があります。
横堀邑の枝郷に「○石田、修験民家共ニ二戸」とありますので、修験が二戸あったのだろうと思います。
横堀邑の熊野ノ社の別当教應院についての記載はあるのですが、清王院の記載はありませんので、別に横堀邑があるのかもしれないとも思います。
古四王神社の場所は分かりましたが、今のところ由緒関連の情報がありません。
《 ここまで 2021−07 記 》