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追加情報  秋田  EX


(1)大館市釈迦内
*『秋田県の歴史散歩』(秋田県の歴史散歩編集委員会 山川出版社 2008年 2012ー1版2刷)の記事「大館市・4ー釈迦内から矢立峠へ」中の地図に“古四王神社”が記されていることをS氏(本HP記事「山形・置賜の古四王神社ー置賜の古四王神社についてー《白鷹町のコシオウ神社探訪と所在地情報》」参照)に教えてもらいました。
*釈迦内〈シャカナイ〉は、明治22年に北秋田郡釈迦内村・松本村・松峯村・沼館村・商人留村が合併して村制施行した旧村で、昭和26年北秋田郡大館町と合併し大館市が発足しています。
*自宅でできる調査をいろいろ行ってみたのですが、釈迦内の古四王神社に関する情報が見あたりません。
 インターネットで古四王神社があるとされる付近の住宅地図を購入してみましたが、釈迦内郵便局の道路を挟んで向かい側のあたりには神社が記入されていませんでした。
 『戦後の釈迦内の歩み』(畠山久編著 2008)に付けられていた地図に“古四五神社”と記入されていることを知り、大館市立図書館のレファレンスサービスに問い合わせをさせていただきました。
 ご教示いただいた事によると、『大館市住宅明細図(東交出版社 昭和39年発行)』では「神社」と表記され、『大館市・鹿角市・北秋田郡(日興出版 発行年不明)』では「古四五神社」とされ、『大館市(ゼンリン 昭和57/58/60年版)』では「古四神社」とあり、それ以降の版では「稲荷神社」となっているとのことです。
 また、『大館市史 第4巻・第3章』に信仰に関する記述があり古四王神社の石碑の記載があることなどをお知らせいただきました。
 『大館市史 第4巻・第3章』については、国立国会図書館デジタルコレクションの図書館送信サービスで、地元の図書館のPC画面で閲覧していたのですが、古四王関連の記載を見落としていたようです。
*あらためて、図書館相互貸借で民俗・文化編となる『大館市史 第四巻』(大館市史編さん委員会 昭56・1981)をお借りしました。
 「第三章 信仰とまつり」の「第一節 大館市内の社寺と信仰碑」に「大館市内の神社一覧」表があり、表の項目は「地区/神社名/合併神社/祭神/祭日/その他の神社/鎮座地/備考」となっていて、神社が地区ごとに記載されています。
 釈迦内地区を見ると、神明社・松峯神社など合せて9社の記載があり、神社名の記されていない10番目の欄があります。その10番目欄の「その他の神社」項目に2行で「古四王/祖霊社」の記載があり、鎮座地に2行で「(釈迦内)/釈迦内字長面1」とあり、その祖霊社の記されている下段の祭神項目に「高皇産霊大神・神産霊大神」、祭日に「旧6月11日」とあります。
 「古四王」は鎮座地もカッコのついた釈迦内とあるだけで番地もありません。
 このような記載は、矢立地区にも神社名のない欄があり、その欄の「その他神社」に「多茂木神社/八幡神社/八幡神社/八幡神社」と4行記されていて、鎮座地は「(長走)/(中羽立)/(岩本)/(清水川)」とカッコ付で記されている例があります。ただ、この4社については祭日の記入があります。
 他の地区にも神社名の記入の無い欄を持ち「その他の神社」項目に神社名の記されている例がありますが、鎮座地項目にカッコ付地名が記されているのは、「古四王」と矢立の4社だけです。
 一覧表の記載方法についての説明が見当たらないので不明ですが、神社名の無い欄の「その他の神社」は法人登録の無い神社なのでしょうか。
 鎮座地がカッコ付地名なのは、所在が不明なのでしょうか。
*『大館市史編さん調査資料 第四集 斎藤家所蔵本 郷村史略 全 秋田郡之内両比内』(復刻者 石垣忠吉 昭47・1972)で釈迦内村の記事を見ると「社地」の項目に記されているのは“宝龍権現 稲荷 相善 山神 釈迦 実相寺 法姓院(ママ)”でした。
 今のところここまでの情報です。
 なお、レファレンスサービスより、大館神明社の事を教えていただきました。

(2)大館市中神明町 神明社 境内神社に古四王神社
*大館市立図書館のレファレンスサービスよりご教示のあった「大館神明社」をインターネットで調べてみました。
 秋田県神社庁のホームページの「県内神社のご案内」は秋田の神社検索となっていますので、市町村検索で大館市を見ますと「大館地区(旧大館市)」の神明社14社のなかの大館市中神明町の神明社の記事中の境内神社のひとつに古四王神社の記載がありました。
 神社名は「神明社」で「通称:お日さま」、御祭神は「天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)大年神(おおとしのかみ)倉稲魂命稲(うかにのみたまのみこと)」、境内神社は「古四王神社太平山三吉神社天満宮金山彦神社松尾神社」と記されており、由緒に「創立年代は詳かではないが、『大館草創よりの鎮守にして、元慶二年には既に鎮座せられたり』(明治神社誌料)といわれ」「鎮座地は、字小館花道上であったが、延宝3年に、佐竹氏が現在地に社域を定めて社殿を建立し、支裔上平家伝来の神像を奉じて遷座し、大舘本郷2町・支郷13ヶ村の総鎮守として、一円の尊崇を集めている。」「明治44年には有浦神社を、翌45年には柄沢稲荷神社を合祀している。」などの記述があります。
 『大館市史 第四巻』には境内社の古四王神社に関する記述は見当たりませんでした。 
 インターネットには、境内社の古四王神社の画像も見うけられましたので、現在も存在しているようです。

 いまのところここまでの情報です。

(3)大館市雪沢 雪沢神社 境内神社に古四王神社
*秋田県神社庁のホームページの「県内神社のご案内」の「大館地区(旧大館市)」の雪沢神社に境内神社として古四王神社が記載されていました。
 神社名「雪沢神社(ゆきさわじんじゃ)」は大館市雪沢字水沢に鎮座し、御祭神は「大山祇命・月読命・天照大神・豊受姫命・誉田別命・天御中主神・家キ御子神・豊磐間戸神・千手観音」で、境内神社は「金毘羅神社古四王神社唐松神社稲荷神社」と記されていて、由緒に「秋田藩主佐竹義宣が敬重7年秋田へ遷封以来、長木沢の森林守護神として旧長木村雪沢字黒森に山神社を建立する。寛文年中雪沢字新沢に移し〈略〉」「明治43年雪沢10地区各神社の祭神を水沢神社に合併し、更に本神社も水沢神社に合祀し、明治45年雪沢神社と改称した。」などの記述があります。
 明治43年に合併した雪沢10地区各神社の神社名と祭神名が記されていません。
 秋田県神社庁ホームページの「県内神社のご案内」に記載されている神社の由緒記述には、明治期からの合祀の記述を個々の神社名を省略して記している例がしばしば見られます。
 合祀の記録も紹介されないことで、存在したことさえ不明となる神社が数多くあるのでしょう。
 小さな神社をないがしろにしているように感じられます。そのような歴史の中に存続した神社自体も置かれているのでしょう。
 こちらの神社に関してインターネットで検索してみますと、境内に「金毘羅大権現」と「古四王大権現」の石碑が並んでいる画像がありました。
*明治22年に雪沢村はじめ上代野村・下代野村・芦田子村・大茂内村・茂内村・東村が合併して発足した長木村は、昭和30年には大館市に編入となっています。

(4)大館市立花山田渡 神明社の境内に古四王神社の石碑
*『大館市史 第四巻』ー「第三章ー第一節-三・大館市内の信仰碑」に「大館市内の石造信仰碑年代別分類」の一覧表があります。
 一覧表には、碑の種別を庚申・二十三夜・金毘羅・等の区分ごとに碑の数と地域と年代が表わされています。
 種別の「その他」の区分欄に古四王神社碑の存在が記されていました。
 古四王神社碑の記されている地域は下川沿で年代は明治となっています。
 『大館市史 第四巻』ー「第三章ー第一節-三(二)それぞれの信仰碑について」は一覧表の碑の種別区分に対応しており、その最後の項目になる「10 その他の信仰碑」に「古四王神社の石碑一基」の記載があります。
 雪沢神社の境内の石碑は「古四王大権現」のようですので、これとは違う石碑が下川沿地域に存在するのでしょう。
*インターネットで「大館郷土博物館」のサイトの「文化財マップ」から「大館市文化財マップ 大館編 裏」を見たところ、「7 下川沿地区」に「山田渡 G神明社 ★金勢宮、古四王神社、唐松神社、大國主神少彦名神」の記載がありました。
 大館市立花山田渡の神明社の境内に明治時代に建立された古四王神社の石碑があるようです。
 明治に入ってから、古四王神社の石碑の建立があったことに、驚きがあります。


(5)大館市比内町独鈷 大日神社 境内神社に古四王社
*秋田県神社庁ホームページの「県内神社のご案内」の市町村検索の大館市は大館地区(旧大館市)と比内地区(旧比内町)と田代地区(旧田代町)に区分されており、比内地区には8神社が記載されています。
 大日神社は「通称:大日堂」で、大館市比内町独鈷字大日堂前に鎮座し、祭神は「大日霊貴命・豊玉彦命・倉稲魂命・金山彦命・応神天皇・猿田彦命」、境内神社は「外宮社八幡社金刀比羅神社浮嶋龍神社鬼神社文殊社不動社古四王社愛宕社鹿嶋社太平山社八聖山田代山社出羽三山社山神社」と記され、由緒の後半の記述に「当社は江戸時代まで大日堂と称し神仏混淆の形態をとり、明治に至って村社神明社に、昭和27年神明社になったが氏子崇敬者等の強い要望により、平成元年に社名を大日神社と改め御神徳の益々の高揚を祈ることとした。 / 神社所蔵文化財(市指定文化財) 胎蔵界大日如来像 十一面千手観音 四天王像 不動尊像 毘沙門十王像 絵馬額2枚 鰐口 琵琶 / 独鈷囃子(無形民俗文化財)〈 /  改行〉」とあります。
 市町村の変遷を見ると、明治22年に独鈷〈トッコ〉村・新館村・味噌内村・中野村の合併で東館村が発足し、昭和30年に東館村・扇田町・大葛村・西館村が合併して比内町が発足しています。
 平成17年に北秋田郡比内町と田代町の大館市への編入合併が行われています。


(6)にかほ市三森 薬師神社 古四王神社を合祀の記載
*秋田県神社庁ホームページの「県内神社のご案内」の市町村検索で「にかほ市」を選択すると「仁賀保地区(旧仁賀保町)・金浦地区(旧金浦町)・象潟地区(旧象潟町)」に区分されています。
 象潟地区に「古四王神社」の記載がありますが、仁賀保地区の薬師神社を追加情報として取上げます。

*薬師神社は、にかほ市三森字御堂森に鎮座し、御祭神は「大己貴神・少彦名命・天照皇大神・甕速日神・饒速日神・経津主神・武甕槌神・市杵島姫神・保食神・崇神天皇・倉稲魂神」とあり、由緒の記載の中程から合祀記事があり「明治41年10月15日村社神明社に同境内社久斯神社、字浜田無格社古四王神社同境内社金刀比羅神社、稲荷神社、字高寺無格社受持神社(鍔田神社)字高寺無格社厳島神社を合祀す。明治42年3月15日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。昭和3年11月20日秋田県指令兵第1398号を以て村社神明社を村社薬師神社と改称す。」などの記載がありました。
 合祀前の古四王神社は字浜田地内に鎮座し境内社もあったようです。
 明治22年に平沢村・両前寺村・芹田村・三森村が合併して由利郡平沢村が発足し、平沢村が明治35年に町制施行し平沢町になり、昭和30年に平沢町・院内村・小出村が合併して仁賀保町が発足しています。
 平成17年の仁賀保町・金浦町・象潟町の合併でにかほ市の発足となりました。
 現在の地図と住所をみると、御堂森も浜田も高寺も三森の字地としてありました。

《 追 記 》2024年4月17日
◎佐藤久治の『秋田の神々と神社』(秋田真宗研究会 昭56・1981)の「第四部・第三章・19古四王神社」に,
7社の腰王神社所在地が記載されています。
*鹿角市八幡平長井田字長根     =本HP記事:「秋田 20」
*秋田市寺内字児桜         =本HP記事:「秋田  6」
*大曲市大曲字古四王際       =本HP記事:「秋田 12」
*仙北郡太田町中里字新屋敷     =本HP記事:「秋田 14」
*平鹿郡十文字町植田字宮ノ前    =本HP記事:「秋田  11」
*由利郡大内町中館字堤台      =本HP記事:「秋田  5」
*由利郡象潟町字五丁目塩越     =本HP記事:「秋田  1」

○この記載の後に、「参考までにあげるとこの外大正四年時には、次の古四王神社があった。」として、以下の8社を記しています。
(1)釈迦内の稲荷神社の境内社(大皆古命)  
(2)檜山の越王神社(現 檜山神社)(大彦命)   =本HP記事:「秋田 17」
(3)仁賀保町平沢(合併される)
(4)矢島町城内の神明社に合併される      =本HP記事:「秋田  2」
(5)本荘市石沢の日住白山神社に合併される   =本HP記事:「秋田  3」
(6)田代村の御嶽神社の境内社
(7)榊村の八幡神社に合併される        =本HP記事:「秋田  16」
(8)上小阿仁村の七倉神社の境内社       =本HP記事:「秋田  19」


(1):この「追加情報」の(1)大館市釈迦内に関する情報です。
    釈迦内の稲荷神社の境内社として存在するようですが、(大皆古命)とあります。
(3):この「追加情報」の(6)に関する情報です。
(6):こちらは新情報です。「秋田県神社庁HP」の神社検索に情報がありました。

◇追加情報(7)
 雄勝郡羽後町田代字天王山13 御嶽神社
 境内神社:古四王神社 祓戸神社


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