所在地情報 秋田 5 大内町中館
◎所在地情報
大山リスト : 由利郡北内越村中館字宮田
桑原リスト : 本荘市北内越中館字宮田 古四王神社
佐藤リスト : 由利郡大内町中館・宮田 古四王神社
(参考)川崎浩良 : 本荘市北内越中館 古四王神
補記ー由利郡岩谷村北内越 祭神 大彦命 本尊は仏像となっている。
及川大渓 : 由利郡北内越村中館字宮田
○『平成の祭』
古四王神社
鎮座地:由利郡大内町中館字堤台〈ナカダテツツミダイ〉204
祭神:大彦命
○『秋田県神社庁HP』
古四王神社
鎮座地:由利本荘市中館字堤台204
御祭神:大彦命
例祭:4月3日
由緒に、「延宝9年6月7日往古、国幣小社古四王神社の御分霊を奉移したことは、諸人の知るとこである。」
「明治43年赤田神明社へ合祀す。昭和22年赤田神社より遷宮し、同41年に社殿を増築し、現在に至る。」
この赤田神明社は、『秋田県神社庁HP』によると由利本荘市赤田字蓮池の神明社と思われます。
神明社には、明治43年から大正7年までに村社1社無格社9社が合祀され、昭和20年に4社が分離したということです。
*この古四王神社も秋田市寺内の古四王神社の御分霊ということですから、象潟の古四王神社と同様ということになります。
こちらは1681年・延宝9年で象潟は1263年・弘長3年という違いがありますが。
*『秋田県の地名』ー「由利郡ー大内町」の「中館村」の記述に「旧村社古四王神社は大彦命を祀り、延宝九年(1681)創建、元禄十六年(1703)再興という。」がありました。
*本荘市は、本荘町が昭和29年に北内越村・他を編入して市制施行して発足しています。
大内町は、昭和31年に上川大内村・下川大内村・岩谷村が合併して発足した大内村が、昭和45年に町制施行して発足しています。
平成17年に本荘市と大内町・他が合併して由利本荘市になっています。
そうすると、本荘市北内越と由利郡大内町とは別の場所を表わすことになると思います。
中館という場所が、北内越にあるのか、大内町にあるのか、どうなのでしょう。
川崎の補記の岩谷村北内越、字宮田と字堤台、地名の混乱があり、すっきりしません。
*インターネットの有料地図を見ると、由利本荘市の中館の堤台に古四王神社がありました。
古四王神社の北側にため池でしょうか湖面が描かれており、その北東側に大内中学校があります。
古四王神社から大内中学校までは300メートル程になります。
この湖面の存在が堤台という地名の謂れではないかと思います。
堤台地域の東側に隣接して岩谷町があり西側に新宮田という地域があり、堤台の北側から西側そして南側に中館と記された地域があり、堤台の南側の中館の南に内越という地域があります。
内越の中ノ目に北内越体育館があり平岡に北内越公民館がありますので、この辺りは北内越の範囲になるのだろうと思います。
古四王神社から南に1100メートル弱で北内越体育館になりますので、大内町と北内越は接近した位置関係にあるようです。
*中館地区の所属自治体が変わるというようなことがあったのかもと思い至って、あらためて資料を調べ直すと、『市町村名変遷辞典』の「北内越」を見るとここでは「きたうてち」とあって「明治22/4/1 由利郡内越村・中館村・赤田村・内黒瀬村・深沢村が合併し村制施行」とあり、現在は「本荘市。由利郡大内町。」となっていました。
『全国市町村名変遷総覧』を見直すと、昭和30年に本荘市の中館・深沢と赤田の一部が岩谷村に編入していました。
この後、岩谷村と上川大内村・下川大内村が合併して大内村になったので、中館は北内越村の領域から離れて大内村になったということのようです。
これで地名の混乱がすっきりしました。
北内越は「きたうてつ」と読むようです。
《 ここまで 2021−06 記 》
《 探訪の準備 》
*『大内町史』(大内町史編さん委員会 平2・1990)の「第三編-第四章 集落史-三節 岩谷・内越地区」の「十一 中館」を見ると、「大彦命を祭神とする古四王神社は延宝九年(1681)の創建といわれ、大正二年(1913)現在地の字堤台に移転する。拝殿の格天井絵(堀藤兵工作)ほか絵馬数点を保存する。字下タ屋の白山神社は女岡地区の産土神として水波女命を祀る。両神社境内の石灯籠(天保年間の建立)のほか墓地内に古い石彫がある。」とありました。
この記述内容と『秋田県神社庁HP』の古四王神社の由緒にある「明治43年赤田神明社へ合祀す。昭和22年赤田神社より遷宮し、同41年に社殿を増築し、現在に至る。」とは、どのように理解すれば良いのでしょう。
古四王神社の元の鎮座地は何処なのでしょうか。
白山神社は『秋田県神社庁HP』には見当たらないようです。
《 2021年12月 記 》