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所在地情報 秋田  20  鹿角市八幡平  


◎所在地情報
 大山新リスト : 鹿角郡曙村三ケ田
 桑原リスト : 鹿角郡曙村三ケ田
         鹿角郡曙村長井田長根  古四王神社
 佐藤リスト : 鹿角市八幡平・三ケ田  古四王神社
         鹿角市八幡平・長井田  古四王神社 備考あり
 (参考)川崎 : 鹿角郡曙村長井田長根
       及川 : 陸中国 鹿角郡ー三ケ田村

*鹿角郡は、江戸時代までは陸奥国で旧盛岡藩(南部藩)領であり、明治4年に秋田県に編入となっています。
 曙村は、明治22年鹿角郡長井田村と松谷村が合併して村制施行して発足。
 昭和31年に曙村と宮川村が合併し八幡平村が発足。
 昭和47年に花輪町・尾去沢町・十和田町・八幡平村が合併して鹿角市が発足。

*『秋田県の地名』−「鹿角市」の「三ケ田村」に「中世後期には開村していた。集落南側高台に館跡があり、数郭と東端に古四王神社を残す。」「明治九年(1876)長井田村となる。」とありました。

 現在の住所表示によると、鹿角市八幡平に長根も三ケ田もあります。
 地図を見ると、三ケ田と長根は境界を接している部分があり、長根地区に古四王神社があります。
 長根が三ケ田村の枝郷であったかどうかは、分かりません。

○『平成の祭』
 古四王神社
 鎮座地:鹿角市八幡平字長根11
 祭神:《合》稲蒼魂命《主》大彦命

○『秋田県神社庁HP』
 古四王神社
 鎮座地:鹿角市八幡平字長根11
 御祭神:大彦命 稲倉魂命
 例祭:5月8日
 由緒:崇神朝の御代四道将軍の一人として、後に越王と呼ばれた大彦命が祭神である。 /  「奥風土記巻九」には、『胡四王神社三ケ田にあり継体天皇の御代十八年に勅命により建立ナリし神社なりとなん』とあり、明治6年村社に列せられた。

 桑原も佐藤も、三ケ田と長井田を二箇所の所在地情報として取上げていましたが、同じ場所のことを指していると思いますので、ここに記しました。
 もし、三ケ田と長井田の二箇所に古四王神社があったとしたら、この近距離に存在する一方の古四王社の記録がないわけがないと思います。

*国立国会図書館デジタルコレクションで『南部叢書 第一冊』所収の「奥々風土記オウオウフドキ 巻九」が確認できました。

*『御領分社堂 南部領宗教関係資料1』(岸昌一 編 岩田書院 平13・2001)ー「御領分社堂 一」−「○自光坊支配 花輪通 羽黒派」−「花輪代官所ー三ケ田村」に古四王堂の記載があります。
 「三ケ田村 / 一 古四王堂 五尺五寸板ふき / 拝殿 四間四面かやふき / 本地釈迦如来 光宝山三明寺 別当 持福院 / 継体天王十八年之頃御建立之由、以前三ケ田村ニ館主安保左近ト申仁住居之砌、右先祖ニテ再興被致候由、古四王ハ山地ニ御座候テ、其山高サ弐拾丈程ニテ堀二重ニ廻リ、右山エ建立被致候由申伝候、毛馬内三左衛門・玉井清兵衛高壱石宛被致寄附候、後宝山〈ママ〉三明寺ハ古四王之山号ニ御座候、古キ書付等天和年中居宅類焼之節焼失、申伝而已ニ御座候」とありました。
 三ケ田村では他に、八幡宮、毘沙門堂、馬頭観音堂、稲荷の記載がありますが、これらに由緒等の記述はありません。


*2005/09/14の日付のネットからの印刷物資料があり、「三ケ田老人クラブ区域内の神様」として古四王神社・他の記事があります。
 『GLNからこんにちは』というサイトの記事になるようです。
 2021年7月20日にアクセスしたところ、このサイトがあって、そのなかの「八幡平地区の神様を訪ねて(秋田県鹿角市)」の「17 三ケ田老人クラブ区域内の神様」が、2005年に見た記事でした。
 『GLNからこんにちは』の「ホームTOP/メニュー」の「77 悠久」ー「33 八幡平地区の神様を訪ねて(秋田県鹿角市)」とたどります。
 〈 http://www2u.biglobe.ne.jp/gln/77/7733/773301.htm 〉

 記事を見てみますと、名称覧に「古四王神社」とあり、所在地覧は「長根」で故事来歴覧に「祭神 天照大神(持囲天皇〈ママ〉 )他三神らしい /境内は「山の社」、鬼子(母神)/ 社殿 三間半×五間、石段 百三十余、鳥居 三門 / 祭日 旧四月八日・十二月八日(後年四五回) / 起源は不詳であるが、相当古いと思われる。昭和十年頃に屋根等の修復あり。現在はトタン葺きである。 / 境内には神社の起源と同じ位の『杉の大木』があり、大人三人でやっと周せる巨樹や、銀杏や桜などがある。 / 三ケ田、荒町、大久保の三部落の氏神として鎮座しております。」とあります。
 続いて[むらのいぶき]とあって、「祭神 大彦命、武甕槌命 / 創立 善紀三年(524)伝説にて創建 / 古四王神社は、南の方から伸びている長根の端に、東西の山裾の村々を一望に臨める高台に鎮座しており、蝦夷の征伐に当たったと云われるように、社殿は北面している。 / 三ケ田部落では、富家約二十戸がお釈迦様の掛軸を持ち回り、毎月八日にトッコを行っていた。」とあります。
 名称覧の「古四王神社」をクリックすると、古四王神社及び境内社の3枚の写真があります。
 写真の下の「古四王神社」をクリックすると、鳥居と社殿の写真と『秋田県神社庁HP』と同様の由緒等が記されていました。

 「八幡平地区の神様を訪ねて(秋田県鹿角市)」の「02 水沢老人クラブ区域内の神様(はじめに)」を開くと、「本稿は、昭和六十三年度老人大学学習記録集『八幡平の神様を訪ねて』を参考にさせていただきました。」とあり、[むらのいぶき]について「八幡平地区連合青年会は昭和五十二年一月二十日、八幡平の民俗『むらのいぶき』を発行しました。本稿の補筆『むらのいぶき』として、本印刷物を参考(抜粋)にして併記しました。」がありました。

*『秋田県の地名』にある「集落南側高台に館跡があり、数郭と東端に古四王神社を残す」の館跡は「三ケ田館」のようです。
 サイト『秋田の中世を歩く』に「三ケ田館」の記事があり、古四王神社の場所や写真が載せられていました。
 〈 https://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/hatimantaira/mikata.html 〉

                                    《 ここまで2021−08 記 》


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