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所在地情報 秋田  15  協和町中淀川


◎所在地情報
 大山新リスト : 仙北郡淀川村淀川
 桑原リスト : 仙北郡淀川村中淀川
 佐藤リスト : 仙北郡協和町中淀川  古四王社
 (参考)及川 : 仙北郡淀川村淀川

*明治22年に、仙北郡下淀川村・中淀川村・小種村が合併して村制施行し淀川村が発足。
 上淀川村は荒川村・稲沢村・境村と合併して、荒川村になっています。
 昭和30年に、仙北郡荒川村・峰吉川村・淀川村が河辺郡船岡村と合併して協和村が発足。
 昭和44年に、町制施行し協和町発足。
 平成17年に、大仙市発足。


*『秋田叢書第8巻』所収の菅江真澄「月出羽道 仙北郡(一)」を見ます。
 一巻の巻頭に「○月出羽道つきのいではぢ 〈割書-仙北ノ郡條〉」という題名で仙北についての記載があり、次いで「○境邑〈割書-佐加比牟良〉」の記載になります。
 その記事中に「境邑に六村の寄郷〈割書-堺邑を親郷といふ〉あり○荒河○上淀川○中淀川○下淀川○小種○福部羅也。」とあります。
 それから、それぞれの寄郷及びその枝郷についての記載が続きます。

 「○中淀川邑」の項を見てみます。
 中淀川邑の本文は、位置関係及び享保郡邑記などを引いて村の経緯を述べて、各枝郷について記述しています。
 その枝郷「○中村」は、「○諏訪明神ノ社」についの詳しい記載から始まり、「○小栗山村」「○由田村」「○古名地」「○脱漏話説」「○中淀川村名産」と続いています。
 「○脱漏話説」には、「○享保郡邑記に寺一軒、山伏二軒とあれど、修験は清水寺のみ一戸あり。そは郡邑記の筆記誤ならむとしかいへる人あり。うべならんと思うほどに、享保のころは常楽坊とて山伏あり、其子なる常覚坊までは連綿たれど家乏くて、文化四年には土民となりて、今は権太郎とて常楽坊が後は田佃リとなりぬといへり。其家のあたりは荒田村といへり。いにしへ此あら田に、天台なンどならむか仙寂といふ僧が佛刹ありて、鬼子母神十羅刹神堂なンどを守護て在りしかば、其地を今仙尺ともはら字ニはいふ也。そは清水寺の修験者のあたりをいふ、並ては荒田村也。また此清水寺の鼻祖は元社家にて、下淀川の熊野淵の大覚院より分家たる古記あるよし。花岳山太寧寺もそのいにしへは天台宗なンどにや、弘治、永禄のころならむか破壊たるを、小山ノ善寶寺の八世にあたる一山宗法和尚、此寺再興と草堂を営て居けるに、時は天正四年のころほひ、毎夜淵に光を飛し、あら波を立て出るへんぐゑ大法師となりてかの和尚の草堂に入る。和尚は結跏趺坐し半眼にして是を見るに、へんぐゑの大法師問ふ、大足二足、小脚八脚、日月一天を白眼、行ときは横行自在也、是なにものぞ。和尚大笑て曰く、大足二足は鋏子ハサミ也、小脚八脚は両足也。天をにらむ日月はすなはち両眼、横行自在するものは是螯カニにあらずやと云て如意を以て打ければ、光と共に其妖化けちうせたり。夜明て見れば、大キなる蟹の甲破れて淵に死てあり。こは、また僧を捕り咋ひたりし大螯也。かくて其蟹を曳上させて埋み、そを蟹堆といふ。後に小祠を作て鎮守とし螯明神と齋り、今古四王ノ社を遷して相殿たり。其淵を蟹ケ淵といふ。また、須波の社の御贄の蟹も此淀川の流より漁といふ、蟹によしある小川也。」とあります。
 古四王社が中淀川村の螯明神と相殿で祀られる以前に、古四王社が中淀川村にあったのか、別のどこかから遷したのか分かりません。
 螯明神と古四王の相殿社がどこにあったのか、どうなったのか不明です。


*『秋田県神社庁HP』によると、諏訪神社が大仙市協和中淀川字白井沢111に鎮座しています。
 御祭神は建御名方神・保食神・天照大神・応神天皇・大名持神・少彦名命で、由緒に「延暦21年建立。天正11年2月改建。永暦3年6月11日改建。〈略〉明治41年2月14日新田神社外四社を合併し昭和21年3月8日原因不明の出火の為社殿焼失。昭和27年再建する。」とあります。
 大寧寺も協和中淀川字古種沢館ノ沢41にあります。
 地図を見ると、諏訪神社の近くに中村地名があります。
 秋田自動車道の協和インタ−チェンジのそばに「千着」「千着蟹沢」の地名があります。
 「其地を今仙尺ともはら字ニはいふ也」の「仙尺」と関係があるのではないでしょうか。

*『秋田の昔話・伝説・世間話 口承文芸検索システム』で「大仙市」の項目を見てみました。
  〈 http://namahage.is.akita-u.ac.jp/monogatari/ 〉

 その中の「荒田村の寺」(番号:1432 書名・誌名:協和村郷土誌)に、「○脱漏話説」の伝説と同じような話が載っていました。
 そこには「荒田村にあるお寺の下の淵から毎夜怪光が飛んで」とあり、「○脱漏話説」にある「荒田村」と結び付きます。
 同じく「ガニ淵」(番号:702 書名・誌名:協和ものがたり378)にも、同様の話があり、寺のあった場所は「中淀川の壇の前」とありました。
 また「かに寺」(番号:1792 書名・誌名:協和町の昔話と智慧)にも似た話があり、寺の場所は「淀川の新田に小さなお寺があったが」とあり、その地域を「協和町荒川字新田」とありましたが、現在の住所表示には道の駅協和のあたりに協和荒川新田表がありますが新田はありません。
 「淀川の新田」は、諏訪神社に合併の「新田神社外四社」とありますので、中淀川に新田の地名があったのではないかと思えますので、伝説の地域を協和町荒川(現・協和荒川)とするのは誤りではないかと思います。

 今のところそれらの場所を絞り込めませんので、現地を訪ねるとしたら、大寧寺に行ってみることからはじめるしかなさそうです。

                                    《 ここまで 2021−08 記 》 


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