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探訪記録 山形  10 : 庄内 10 


佐藤リスト リスト外 : 飽海郡遊佐町鳥崎 古四王神社
             〈桑原リスト リスト外

《探訪の準備》
*鳥崎に古四王神社の存在する情報は、記事「探訪記録 庄内9ー西谷地」と同様に『遊佐町史・上巻』によって知りました。
*『遊佐郷村落誌(下)=第三章 吹浦の巻・七浦通り・(二)鳥崎』に「三上神社 もとは倉稲魂命一柱であったが、諏訪社も合祀し、建御名方命・金山彦命を祀る。この社の本地佛は観世音菩薩で、今でも観音様と呼んでいる。村の東に古四王社がある。きかず様で、今は御滝神社となっている。北向きの社で本来の古四王社の慣わしに従っている。」とあり写真が載せられています。
 写真では、社殿に続く石階段があり石垣が積まれており、社殿の左右に燈籠が見えます。社殿は一間社流造りのようです。
 地図を見ると、鉄道を越えた村の東に鳥居マークがありますが三上神社のようで、古四王神社の場所は分かりません。

《探訪の記録》
*2017年6月9日
 遊佐では先ず、遊佐町立図書館に行き、ネットで蔵書検索してきた幾つかの本を見て、地図を確認して、他の資料を探しました。
 鳥崎に関連しては『遊佐新風土記(菅原傳作)の他に『改訂 ふるさと講座「吹浦」』(大西賢治 平15・2003)を見つけましたので鳥崎村部分のコピーをさせていただきました。
 『遊佐新風土記』によれば「鳥崎の古四王神社は村の東山にある。社殿は北向きで隣に小さな石の旧祠がある。」とあります。
 『改訂 ふるさと講座「吹浦」』の鳥崎村の項目によれば現在の鳥崎村は旧村地から移転した所とのことで、〔「鳥崎村が現在地に移転した理由も年代もわかっていない。」「現在、鳥崎港の東に本多岩吉氏の功労碑があるが、背後の線路を越えた所に諏訪神社跡がのこっている。村落は諏訪神社に続いて東に伸びており、奥まった岩倉には多量の湧水があって、生活を潤していた。村落跡は多くが畑になっている。旧村の前の低地には3町歩ほどの水田があるが、その一部はバイパス道路の下になり、当時の面影は見られなくなった。」「文化元年(1804年)の大地震の時は、移転の前か後かは分からないが、家数19軒、内13軒潰家、外の6軒も居住不能となり、馬3疋が家の下敷きになって死んでいる。」、これに続いて手書きの地図があり、「村の南には3町歩程の水田と畑があり、東の山は畑や共有の草刈り場があった。」「村東の高台にある水田は、昭和38年頃に開かれ、灌漑用水をポンプで揚げたもので、1町歩ほど耕作されている。」「村の鎮守三上神社は村の東にあり、村の移転とともに創建されたもので、年代は不詳であるが天保元年(1830年)に再建されたと伝えられている。」「旧村落跡にあった諏訪神社は、大正9年の鉄道敷設工事に際し、祭神の建御名方尊は三上神社に合祀され、社殿は湯の田に移されたとの説もあるが詳らかでない。この工事で神社は集落と分断され、神社だけになってしまった。」「古四王神社(きかず様)は村の南東に位置し、聴覚障害者の信仰が厚かったが、この神社もバイパス道路のために東奥に孤立してしまった。」〕の記述があります。
 手書きの地図によると、現在の鳥崎は旧鳥崎集落の北に位置するようです。

 住宅地図によれば鳥崎集落の人家はJR羽越本線と海岸沿いの国道345号線との間の狭い範囲に南北に連なっており、その中程の線路の東に三上神社があり、さらにその東に国道7号線吹浦バイパスが走っています。集落の南北からバイパスに通じてさらに山に続いている狭い道があります。
 古四王神社はバイパス道路によって集落から隔てられたようですので、国道7号バイパスの東側にあるようですが、その場所がどの辺なのかなど、それ以上のことは分かりません。
 行って探してみるしかないようです。

 図書館から先ず鳥崎に向かいました。
 鳥崎を遊佐町の古四王神社探訪の最初の場所としました。
 吹浦の丸池よりも北に位置していますので、佐藤氏がこの社の存在をもうすこし早く知ることが出来ていれば佐藤リストの番号1 になったと思います。
 海岸沿いの国道345号線を行き、鳥崎集落の北側のバス停の広い場所に車を置かせてもらい、話をお聞きできる人を探しました。
 ご老人が外で作業をなさっていたので「古四王神社を訪ねてきたこと」をお伝えしたところ、場所と道順を教えていただくことが出来ました。
 古四王神社を訪ねることが不思議なように「小さな神社だよ」と繰返されました。
 山に入るようなので、熊は出ませんかとお聞きすると、居ないとは言えないようなことをおっしゃっていました。
 車で行けるようですので、車で向かいました。
 集落の南側で国道345号線からはずれて踏切を越えると林道のような道になり、進むとバイパスがあるので車の切れ目をみて横切り、山へ向う道に入りさらに進みます。そうすると前方にカモシカが飛び出してきて驚かされ、イタチのような小動物が現われるなどがあり、道は左方・前方に山が迫って行き止りのようになり少し広くなりました。
 車を降りてみると、右に進む道があるのですが、草がかなり茂っていて狭い道なので、歩いて行くことにして、長靴に履き替えラジオを付けて大きな音を出して行きました。
 何処にあるか分からない神社を探して初めての山道を歩くのは、不安でもあり長い時間に感じられ、あきらめようかと思う頃、道が行き止りになり左側に鳥居が現われ、その奥の高くなったところに社殿の屋根が見えました。
 草がはげしく茂り社殿への道も見えない状態で、草藪をかき分けなければ社殿に近づくことも出来ないので、行くのを諦め写真に収めるだけにしました。
 こんな所にあるのをよく見つけたなと、見つけただけでそのときは満足したのです。
 行き止りの道から周りを見渡すと、神社の反対側の高い所にバイパスが走っているのが見えました。

 『改訂 ふるさと講座「吹浦」』の「この神社もバイパス道路のために東奥に孤立してしまった。」を見ていなければ、鳥崎で山道の道順を丁寧に教えていただかなければ、とてもこれなかったなと思いました。また、一人であったら行かなかったでしょう。
 遊佐町へは夫婦二人で来ていました。
 夫婦連れだったことも、地元の方の不信感を緩和させてくれて、いろいろお教えいただくことが出来た一因かも知れません。
 遊佐町の方のお人柄が良いからですが、本当に遊佐町では多くの方に助けていただきました。 

 左上: 草の道の進行方向は行き止り。左に鳥居。      右上: 鳥居と奥の高台に社殿。草藪。
 左下: 社殿をズームで写す。                 右下: 崖越しにバイパス道路。


《探訪の整理》
 社殿の間近に行くことは出来ませんでしたが、社殿のある場所は分かりました。
 社殿のズーム写真と『遊佐郷村落誌(下)』の写真は同じに見えますので、この社が古四王神社で間違いないようです。
 引用させていただいた資料によれば、鳥崎の古四王神社も「きかずさま」で、「社殿」の「隣に小さな石の旧祠」があって「今は御滝神社となっている」とのことですので、きかずさまの古四王社は元々は小さな石祠の神社で、今の社殿は古四王神社とは言わず御滝神社ということなのでしょう。
 社殿に参っていないので、石の小祠を確認していません。
 御滝神社に関する情報を見つけていません。

 古四王神社の鎮座地は、『改訂 ふるさと講座「吹浦」』の手書き地図などを参考にすると、鳥崎の旧集落の東に位置していたように思われます。旧集落の生活範囲の近いところに位置していたのではないでしょうか。
 諏訪神社跡を訪ねていませんし、道があるのかどうかも不明で、現在の様子は分かりませんが、諏訪神社跡が旧集落の西に位置して、集落が移転した後も少なくとも鉄道敷設までその場所に祀られていたようですので、古四王神社も旧集落の時代に鎮座したその場所にあり続けたのではないでしょうか。

 カシミール3D・解説本の地図が分かりやすそうなので、そこに『改訂 ふるさと講座「吹浦」』手書地図を参考に諏訪神社跡・鳥崎集落跡を入れてみましした。
 地図からみると、車を置いたところから古四王神社までは300b弱ですので、慎重に歩いて4分程ですが、もっと長く感じました。
 国道345号線から分かれたところから車を置いたところまでは600b強でしょうか。


《カシミール3Dー解説本の地図》 
 旧集落跡は、低地が入り込み平地になっています。
 湯ノ田から現鳥崎の南まで旧集落跡と低地を囲うように続いている道は、標高30から40bの辺りを通っています。
 この道の脇の高台に、集落から見える場所に、古四王神社は位置していたのではないでしょうか。
 この道の一部は、バイパス工事でその下になり、分断されたもようです。
 文化元年の大地震は、象潟が隆起して陸地化した象潟地震のことでしょうから、この時は津波も起きているそうですので、その事と集落の移転は関係あるのではないでしょうか。




 《地図: 現在の鳥崎周辺 マークは車を置いた場所》



《 2024年3月16日(土) 鳥崎再訪 》
*2017年6月の初回訪問の時は、幸運にも社殿の近くまでたどりつくことができ、社殿の存在と位置を確認できましたが、荒草に阻まれて社殿の前に行くことが出来ず、古四王神社の旧祠という石祠も確認できずにおりました。
*何時行ったら社殿の所まで行けるだろうか、お祭りの時には草を刈るのではないだろうか、お祭りは行なわれているのだろうかというようなことを確認出来ればと思っていたのですが、なかなか情報を得ることができないでおりました。
 つてを頼って鳥崎集落の方を紹介していただいて、電話でお聞きしたところ、祭礼は例年5月4日に三上神社の祭礼とともに行なわれているとのことでしたが、連休の予定が入っていたので祭礼に合せて行くことは出来ないと思いましたが、今なら草も茂っていないので鳥居の所まで車で行けるとのことでした。
 天候の良さそうな日に出かけました。

*先ず、『遊佐郷村落誌(下)』に写真も載っていた鳥崎集落内にある「三ケの水槽をしつらえた洗い場」と三上神社に行ってみようと思います。
 「洗い場」は本の写真のようにありました。

 写真の奥側に線路があります。
 「洗い場」から線路を越したところに三上神社が鎮座しているようです。
 三上神社は立派な神社でした。


*現・御滝神社へ向います。
 鳥居の所まで車で難なく行くことが出来ました。
 以前、荒草越に屋根だけ見えた社殿は、短い草の斜面の上に太陽を背にして見えました。
 行き止まりだったところは、斜面になっていて草がなくても行き止まりでした。
 この斜面はバイパス道路の方から続いているようです。
 斜面にはU字溝が施されていて、通ってきた道路脇の大型のU字溝につながっています。
 社殿は思ったより近くにあり、すぐにのぼれそうですが、雪囲いがされています。
 社殿前の階段の上の正面入口部分はブルーシートで、その左右の石垣上には板囲いがありますので、雪囲いに妨げられるかと思いましたが、のぼって行ってみるとブルーシートはめくれるようになっていて、雪囲いの中に入れました。
 以前の写真に写っていたパイプ状の物は、雪囲いのための単管パイプだったわけです。
 鳥居の前の道路の所で標高はおよそ50メートル程で、御滝神社の所は見渡すとバイパス道路の高さとほぼ同じか幾分低いくらいのところになるようです。
 御滝神社に参拝し、隣にあるという古四王の旧石祠を探しましたが、見当たりません。
 何らかの理由で撤去になったとしても、石祠がかつてあったような痕跡も見当たりません。
 社殿の背後は斜面がせまっていて、社殿の右側の斜面から滝が流れ落ちていました。
 小さな流れですが、まちがいなく滝ですので、御滝神社と称されるのも頷けます。
 地図を見ると、この場所は等高線がとがって山側に入り込んでおり小さな谷の地形になっていますので、水が集まる所なのではないかと思います。



*石祠が見つからないので石祠はもう無いのかどうか、鳥崎集落に戻って聞いてみることにしました。 
 複数のお宅をお訪ねして、お聞きできる方にお目にかかれました。
 その方によると、石祠は滝の流れを越えた向こう側にあるが、藪で行けないかも知れないとのことでした。
 石祠は無いと諦めず、勝手に思い込まずに、地元の方に聞くことが大事だとあらためて思いました。
 もう一度山の神社に戻りました。
 滝の流れの向こう側に目をやると、枝や蔓の奥に石祠がありました。
 「隣に」あるということでしたので、もっとそばにあるものと思っていました。
 この石祠が、古四王神社の旧祠なのでしょう。
 滝の向こう側に目をやったとしても、注意していないと見過ごすかも知れないほど背景に溶け込んでいました。
 蔓を切る道具や装備がない状態では、簡単には近づくことが出来ないと判断しました。
 縦長の石祠です。
 屋根と基礎の間の胴部が長く、胴部が縦長に彫込まれています。
 基礎は、屋根や胴の石材とは異なる柔らかめの石を段に積んでいるように見えます。
 石祠の背後にも基礎の石と同じような石が段に積まれているようにも見えますが、そこにある自然石が割れて重なっているようにも見え、自然石であれば御神体の石なのかも知れないとも思え、判断が付きません。
 胴部の空間の底に三角の石がありますが、意味があるのか無いのか分かりません。
 石祠の正面は北向きになっているようです。
 とにかく、念願であった古四王の石祠を確認できました。
 縦長の石祠でした。


*2004−03−28に、祭礼のことや草の状態について教えていただいた鳥崎の方に既存記事のプリントと追加記事の原稿を送らせていただきました。
 2004−05−28に追加記事を公開いたしました。

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