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探訪記録 山形 19 : 庄内 19
佐藤リスト リスト外 : 東田川郡立川町三ケ沢字堰南 こしおさま(ごんげんさま)
〈桑原リスト リスト外
《探訪の準備》
*御諸皇子神社の関連で、立川町の資料に当たっているときに『立川町史 上巻』(立川町 平12・2000)=「第三編・第五章・第一節・二.陰陽道とコシオウ信仰」の「謎のコシオウ信仰」の項目に「本町の三ケ沢字堰南にコシオウが祀られていることを知ったのは、清野久雄による紹介からであった。◯◯◯□□家の竹林の中に、山神とともに「こしおさま」あるいはごんげんさまという祠がある。石像が安置されており、子供にできものが出るとお詣りしてきたという。縁日は四月と十一月の十七日である。庄内地方では二十一カ所目の知見であった。〈略〉」とあるのを見つけました。執筆者は戸川安章のようです。
この所在地情報は、桑原・佐藤リストにも載っていません。
「二十一カ所目の知見であった」とありますが、佐藤偵宏は庄内地方で20個所の所在地情報を明らかにしていますので、その20個所に加えての21個所目なのでしょうか。
記事「庄内17」で記した笠子地蔵・等の情報はどうなっているのでしょう。
《探訪の記録》
*2015年11月7日
鶴岡市立図書館の蔵書検索によって、立川町の『町の文化財 第18集 ー 社寺祠堂調査(狩川編1)』(立川町文化財保護審議会 昭63・1988)が藤島分館にあるとのことなので、念のためにどのような内容なのか確認しておいた方がよいだろうと思い、藤島分館に行きました。
喜ばしいことに、同書に写真入りで三ヶ沢の「こしおさま」の記載がありました。
この本については、山形県立図書館の文献目録検索の項目“神社”で検索した中にありましたので承知していたのですが、鶴岡市立図書館本館になかったので手にする機会がありませんでした。
同書によると「屋敷の竹林の中に一間に二尺、高さ三尺五寸ぐらいのコンクリートの祠に、向かって右はこしおさま、ごんげんさまとも言う。石像で高さ60pぐらい、地蔵さまのような形をしているが手は合掌しているように見うけられる。左に山神と刻った小さい三角形の自然石をおまつりしている。近年まで一間四方のお堂があったそうであるが、こわれたので現在の状態で祀っている。明和五年〈1768〉の三ケ沢村御水帳(三ケ沢村文書14)に『長五郎前こしあふ屋敷、中畑三畝弐拾五歩□分米三斗六合七夕』とある。付札があって『寛政十一年未五月〈1799〉助左エ門成』とあるので、今由緒は不明であるがいわれのあるお堂にちがいない。大変きれい好きの神さまで、子供達がものけする(できものが出る)と、こしおさまにお詣りせ、といっておまいりに来た。またきれいだ神さまだから、あたり(周囲)をきれいにしておけ、と言われたと言う。縁日は四月・十一月の十七日で、餅をつき粢(しとぎ)をこしらえて両方に供えておがむ。お歳夜は十一月十七日で、◯◯◯□□家でまつる。」とあります。◯◯◯□□家と伏せた以外は全文引用しました。
分館ではコピーサービスが無かったので、後日山形県立図書館のレファレンスサービスを煩わせて該当個所のコピーを入手しました。
三ケ沢集落には◯◯◯家が何軒かあるようですので、訪ねてお聞きしてみようと探して行った1件目のお宅はお留守でした。
2件目のお宅は、折良くご婦人が在宅されており、お話しを伺うことが出来ました。それによるとお訪ねした1件目のお宅がこしおさまをお祀りしているとのことでしたので、少し時間をおいてもう一度訪ねてみることにして、三ケ沢を訪ねる際にナビの目的地にした光星寺を参拝し、字堰南方面へ向い三カ沢の公民館を訪ね御嶽神社や善光寺にも行ってみました。附近の路傍に石碑などがいくつもあるのが目に付きます。
公民館の前を通る道の南側に水路があり、その南側が字堰南地区のようです。
あらためて◯◯◯家に伺いましたが、お留守でした。
どなたかいらっしゃらないかと屋敷の奥の方に声を掛けさせていただいていると、竹林がありその奥に藤島分館で見た写真の祠のような形が見えました。
無断で申し訳ないことでしたが、そばによって確認させていただきますと間違いなくこしおさまでしたので、お詣りさせていただき、写真に収めさせていただきました。
名刺にメモを書いて郵便受けに入れさせていただきました。
《探訪の整理》
*2015年11月9日
◯◯◯家様にお手紙を出させていただき、お許しを得ないまま竹林の山神様とこしおう様をお詣りさせていただき写真に収めさせていただいたことをお伝えいたし、お詫びとお許しをこわせていただきました。
2日後、◯◯◯家様よりわざわざお電話を頂戴いたしました。
そのなかでいろいろお教えいただきました。ひいおばあさまのお話で出羽三山神社と関係があるようですし、11月中旬、田仕事を終えると餅をあげているそうです。
月光善弘『古志(四)王神の信仰』のなかに「戸川安章氏の話によれば、以前は羽黒山にも古四王社が存在したとのことであるが、現在は不明であるとのことである。」の記述があり、同書の別表1の摘要の欄〈『寒河江市史・上巻ー第4章第2節』の表の場合は「表4−3」に当ります〉に「古四王社として羽黒山中に大正十年頃まで祀っていた(戸川安章氏談)」との記載があるのですが、何の情報に対する摘要なのか分からない状態です。このことを調べられればいいのですが。
現在、福島県会津若松市東山町湯本に羽黒山湯上神社がありその境内社として〈の位置付けで〉高志王神社があるという例があります。探訪記録・福島3に記事があります。
三カ沢の「こしおさま」は「こしあふ屋敷」と記されていた事があったようですが、「こしあふ」をコシオウと理解してもよいのでしょうか。
できものはいぼではないでしょうが、古四王神をいぼとりの神さまとする例は、新潟県村上市早稲田(旧岩船郡朝日村)にあった古四王神社や山形県西置賜郡小国町大滝の古四王神社があります。
鶴岡市由良の古四王神社では体の悪いところを八乙女浜の石でなでるという信仰があるそうです。
耳の不自由な方の信仰の例はより多くあります。
小国町大滝の古四王様は胡服を着て合掌する古志王の像で木彫り立像で高さ約十八センチで大江町所部の腰王神社の本尊と同形と思われるとのことです〈『小国町史』、『小国の文化財』による〉。
こしおさまの写真を載せさせていただきますが、こちらのこしおさまの「手は合掌しているように見うけられる」とあり、確かに合掌しているようですが、写真をあらためて見ると左手を横にしてなにかを持っているようにも印のようにも見えなくもないと思います。お姿はゆったりとした袖の衣をまとった立姿の神像のようにも見えます。
こちらのこしおさまは、訪ね歩いている「古四王」様のひとつと思いたいです。
所在地の現在の住所は、東田川郡庄内町三ケ沢堰南地内になります。
左上: 山神とこしおさま 右上: こしおさま
左下: 公民館 右下: 御嶽神社〈公民館の隣の奥〉
〔周辺地図〕
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