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庄内の古四王神社について


*山形県の探訪記録の記事は、山形県の四地方ごとに、庄内地方・村山地方・置賜地方に分けて、記載しております。
 記事の記載順は、佐藤貞宏『コシオウ信仰研究序説』の所在地情報のリストの順番に応じています。
 詳しくは、山形県の探訪記録についてをご覧いただければ幸いです。


《遊佐町の古四王神社情報について》
 遊佐町の古四王神社を探訪するうえで、池田宗機「越王(古四王)信仰について〈以下、『池田・方寸5』と表示〉」(雑誌『方寸-第5号』昭49-9月・1974)、『遊佐町史資料-第5号=遊佐郷村落誌(上)』(昭54・1979)、『遊佐町史資料-第11号=遊佐郷村落誌(下)』(昭63・1988)は欠かせない資料です。
 『池田・方寸5』によると、池田は『遊佐の歴史』編集の資料あつめで川崎浩良『出羽文化史料』や丸山茂『山形県文化史』の中に遊佐の杉沢・野沢・服部に古四王神社があることを知り、調べていくと遊佐町内に中山・上大内・岩川・北福升・吹浦にも存在していることを知り報告しています。
 このように実際に自分の足で調べた情報は大切で価値があると思います。
 『池田・方寸5』では、遊佐町の他に八幡町の一条・麓・岡島田、酒田市横代・熊野田の情報を記し、飛島の石地蔵を報告しています。
 さらに、飽海地方にはこれらの他に古四王神と推定されているのが、もう二、三あるようだが、多くは「聞き耳地蔵」「聞かず大明神」と呼んでおり云々と記しています。
 『遊佐町史-上巻=第二編第五章二古四王信仰』(平20・2008)に、「池田宗機は、遊佐町には八ヶ所の古四王社があると紹介している。この論考から十五年を経て、菅原傳作は『遊佐新風土記』のなかで古四王社は十社におよぶとして、小服部から勧請した西谷地と海岸に近い鳥崎の所在地を加えている(1987年)」とあります。この部分の執筆者は佐藤偵宏です。
 
 この古四王神社の集中は特異なことと思います。
 この状況に関して何か分かれば、古四王神社についての知見が広がるのではないかと思います。
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