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探訪記録 山形 17 : 庄内 17
月光リスト : 東田川郡余目町上朝丸 笠子地蔵
佐藤リスト リスト外 : 桑原リスト リスト外
《探訪の準備》
この所在地情報は、月光リストにあります。
他のリスト等では見ていません。
月光善弘『古志(四)王神の信仰ー出羽国における古代神としてのー』(昭55・1980)に「東田川郡余目町上朝丸の笠子地蔵は、余目駅の南西100メートルの場所に八幡神社があり、現在はその境内に祀られているが、二回移転して現在地に落着いたとのことである。八幡神社氏子総代◯◯氏の話では、笠子地蔵と呼ばれ、耳の聞こえない人々が、お椀や自然石に穴のあいたものに紐を通して供える。祭日は三月六日と九月四日の二回で、八幡神社近くの女衆が集まって、簡単にお祀りするとのことであった。これが古四王社なのかと疑問だったので、場所を教えて下さった戸川安章氏に電話したら、前に余目の町長をやった富樫芳男氏は『古四王さん』と呼んでいたとのことであった。」の記載があり、写真も載せられています。
《探訪の記録》
*2015年11月8日
余目町は、平成17年〈2005〉に立川町と合併して庄内町になっています。
旧・立川町の清川から旧・余目町の上朝丸に向かいました。
『山形県神社誌』で八幡神社をみると、「鎮座地:東田川郡余目町大字余目字上朝丸158、主祭神:玉依姫命・誉田別天皇・息長足姫命」とあり、由緒に「寛治五年〈1091〉源義家、清原武衝征討の為、当地行軍の折、石清水八幡宮より勧請したと伝えられる。〈略〉」とあります。
『平成の祭』によると、余目町に八幡神社は12社あり、余目八幡宮と呼ばれる社が余目総鎮守とされ、上朝丸の八幡神社は朝丸山八幡宮と通称されているようです。
八幡神社の現住所は、東田川郡庄内町余目上朝丸158です。
八幡神社は「余目駅前」と表示されている交差点の近くにあり、境内に対して横から入るような立地になっていました。
境内の拝殿に向かって右側の端のほうに赤い鳥居があり、鳥居の先の右側に玉垣を背にして石祠や庚申や紀念碑等の石碑が並び、いちばん奥まった所に笠子地蔵の堂がありました。
月光論文で見た写真の堂とは同じではないようですので、改築されたのかも知れません。
堂は幅が二間半程もあるのでしょうか、左右に地蔵を安置する格子の室を設け、中央に小石祠が納められています。
堂の左右と中央のそれぞれに鈴と筒状の鈴緒が下げられ、左右の格子内に頭巾と前掛けをして地蔵尊が安置され、千羽鶴が飾られています。地蔵尊は立像と座像とのようです。
中央の石祠の扉は開かれており、文字を刻んだ石の柱状のものが納められていました。
その文字は下の部分の「大菩薩」は分かりましたが、上の方の文字は判読できませんでした。
無理矢理読もうとすると「◯◯◯◯大菩薩」はひょっとすると南無普現大菩薩かもしれません。
「笠子地蔵」を拝見した限りでは、お椀も無いようですし、古四王社ではないかと言われても、ぴんときませんでした。
左上: 八幡神社境内への入口 右上: 鳥居と奥の笠子地蔵の堂
左下: 笠子地蔵堂前の参道 右下: 笠子地蔵堂 向って右に坐像、左に立像
《探訪の整理》
笠子地蔵に関する資料を今のところ見つけていません。
「笠子」と表記されていますが、何故カサコなのでしょう。「笠地蔵」と言うことなのでしょうか。
もしこれが「瘡+接尾語」であれば、耳の信仰ではなくなりますが、できもの・いぼとの関係が出てくるかも知れないと思ったりします。
戸川安章氏が古四王についてお持ちの情報を著作に残してくれていれば、と思わずにはいられません。
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