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探訪記録 山形  14 : 庄内 14


佐藤リスト 位置番号 12 :  酒田市横代 古四王神                           
                        備考)熊野神社境内に以前所在
                    〈桑原リスト(参考):酒田市横代熊野神社・以前は古四王神社を祀っていたらしい


《探訪の準備》
*『池田・方寸5』には「郷土史家の伊藤安記氏によれば、酒田市横代の熊野神社も、以前は古四王神社を祀っていたらしいし、…」とあります。
 何らかの伝承があったのではないかと推察されますが、裏付けや文献的な資料などはあるのでしょうか。
 今はどうなっているのでしょうか。


*『酒田市合併村史 第三巻 東平田村 中平田村 北平田村』(酒田市史編さん室 平13・2001)によって東平田村の神社を見てみると「E熊野神社 横代字千代桜にあり、明治九年三月村社に列したが、勧請年月や来歴はわからない。」とあります。

 『山形県神社誌』では、熊野神社は、鎮座地:酒田市大字横代字千代桜二〇六、祭神:天之久須比命 大日靈貴命、由緒:南朝の遺臣当地に潜伏し、正平年中紀州熊野より御分霊を勧請する。元禄、明和の両度社殿を修築。明治九年三月村社に列せられ、大正三年皇大神社を合祀する。の記載があります。

 市町村の変遷は、明治22年に飽海郡大石村、北沢村、関村、横代村、境興野村が飽海郡東平田村になり、昭和29年12月に飽海郡東平田村、北平田村、中平田村、上田村、本楯村、南遊佐村、東田川郡新堀村、広野村、西田川郡袖浦村が酒田市に編入合併となっています。

《探訪の記録》
*2018年6月24日
 岡島田から東へ行き国道345号線に出て南下して、県道352号を西に進み横代に行きました。
 国道345号は、このあたりでは東側が山地で、山沿いを走っています。この山地は八森自然公園の山から続いていて、矢流川でいったん途切れて、矢流川を越えた所から最上川支流の相沢川付近まで山地が続いています。矢流川は平野に出て横代の南を流れ、新井田川に合流していきます。

 岡島田から横代に行くまでの間の国道345号沿いの酒田市北沢鍋倉25に八幡神社があります。
 『方寸 第6号』(昭53・1978)所収の「庄内地方と先住民について」(佐藤権吉)のなかに「飽海郡寺内部落の八幡神社にある、古仏調査の折、境内に古四王碑を発見、土地の古老にその由来をたずねたが、知ることができなかった。碑は摩耗していて文字の確認もできなかった。」があり、「寺内部落の八幡神社」は寺内公会堂が近くにあることもあってこの社のことではないかと思っています。
 この古仏調査は昭和47年の事のようです。
 「碑は摩耗していて文字の確認もできなかった」のに、何故古四王碑と分かったのでしょうか。
 地元に言い伝えがあったのでしょうか。
 佐藤権吉論文の情報の信憑性がどの程度のものか分かりかねますが、参考リストには加えておきたいと思いますので、今回の旧八幡町訪問の機会に行ってみました。
 境内の石碑等を見て回りましたが、古四王碑は分かりませんでした。何か分かったら記事にしたいと思います。
 なお、「庄内21鶴岡市由良」にも同論文について記しています。

 横代の熊野神社に到着しました。
 熊野神社の前の道路〈神社の南にある東西の道路〉から神社境内に入ろうとすると、参道が道路に対して斜めに取り付けられていることに驚きを覚えました。道路上で境内にある鳥居の位置に立つと、境内へ入っていく参道は左側から始まって斜めに鳥居の方に向っています。
 参道入口付近の道路脇に立てられている標柱の邨社熊野神社と刻まれた面も道路側に向いておらず道路に対して平行になっています。
 神社標柱と参道の前に車の進入路のようなものがあり、保食大神、古峰神社〈?〉の碑があります。

 道路からその斜めなっている参道をすこし進むと参道は鳥居に正対する方向に角度を変えています。
 参道の左右に岩が立っています。文字が見えなくなった石碑かも知れません。
 鳥居の手前の右側に庚申碑と櫛岩間戸大神/豊岩間戸大神〈二行に並記〉の碑があります。
 角度を変えた参道から見ると鳥居の先の正面に社殿があります。
 社殿から鳥居まで真っ直ぐな参道ですので、そのまま道路に向えば道路まで真っ直ぐな参道になると思うのですが、なぜ参道を曲げたのでしょうか。道路から社殿が直に見える状態を避けたのでしょうか。

 立派な姿のよい社殿で、向拝柱に中央が俵の表象のような注連縄が結ばれています。
 社殿の左側に庚申碑と文字が見えない石碑〈?〉があり、奥まった所に玉垣に囲まれて「大乗典」、「□乗法塔」の石碑、石塔があります。
 社殿の右側にも木の垣の中に「大乗典書写石□」のように見える石塔があり、その奥に庚申碑があり、境内社があります。〈□は不明文字〉
 境内社は社額が見当たりませんが、合祀された皇大神社でしょうか。

 古四王に関するものは私には見いだせませんでした。


左上: 参道入口、標柱、等                右上: 鳥居と社殿
左下: 拝殿                       右下: 木垣と石塔、境内社


《探訪の整理》
*酒田市立図書館で新たな文献資料を探しましたが、限られた時間の中では見付けられませんでした。
 地図を見ていて気が付いたのですが、熊野神社は南面ではなく南南西に向いているようです。
 寺院の瑞雲院〈横代千代桜58〉も地図で見る限り熊野神社と同じような方角の建物のようですし、瑞雲院の西側の家にも同様の方角性が見いだせます。

 熊野神社の現在の住所表示は、酒田市横代千代桜206〈ヨコダイチヨザクラ〉。
 主祭神は「天之久須比命」とのことですが、『平成の祭』で祭神を天之久須比で検索してみると横代の熊野神社だけが表示されました。天之樟日や天之久須毘では検索結果は無しでした。

 「伊藤安記氏」の情報では「熊野神社も、以前は古四王神社を祀っていたらしい」とのことですが、その情報は、祀っていた「らしい」と曖昧ですし、“既に祀っていない”ということであれば、先ずは祀っていたかどうかの確認と祀っていたのであればその後どうなったのかの確認が出来るかどうかということになると思います。
 今のところ私には確認できませんので、古四王神社があったかどうかは不明とするしかないようです。
 
 こういうことを調べるのは、時間が経つと難しくなるでしょうし、遠方から訪れる者にはなおのこと難しいことです。

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